(3)メルシエ事件

このフランスの事件は、次にお伝えするラファルジュ事件とともに、毒物学者のあいだに学問的な対立、論争を惹き起したので、歴史的に有名になっている事件である。

事件そのものは単純だった。二度目の結婚でマリイ・シャンベランという女と一緒になったルイ・メルシエには、先妻とのあいだにニコラという生まれつき白痴の男の子があった。おまけに、この子はひどいアル中でもあった。新しい妻は、この醜い不潔な男の子を気味わるがって、「もしいつまでもあの子を家に置いておく気なら、あたしは出て行きます」と言って、たびたび亭主をおびやかした。そこでメルシエは、ついに意を決して一オンスの砒素を手に入れ、三日後にこれをニコラに飲ませたのである。焼けるような胃の激痛から解放されて、一八三八年12月二十二日に、憐れなニコラは死んで行った。

ちょっと考えれば、これは夫婦間の共謀による犯行のように思われる。手当のために医者が呼ばれたわけでもなし、解剖にも付されずに急いで埋葬されてしまったのだ。ともあれ、近所から噂が立って、メルシエは逮捕され、十ヶ月間警察に拘置された末、ディジョンの重罪裁判所で裁かれることになった。

このとき、あの名高い近代毒物学の父と呼ばれるオルフィラが、検察側証人として重大な発言をしたのである。オルフィラの意見によると、墓地の上にも、また屍体にも、同じように砒素が含まれていた。しかし土が屍体のなかに浸透することは物理学的に考えられないから、したがって、ニコラは死ぬ前に毒を嚥まされたことになる、というのであった。彼は屍体をスープ肉のように煮沸して、少量の砒素を抽出することに成功したのである。

ところが、その前に屍体を掘り出して鑑定した法医学者たちの意見では、屍体には特別な異常は認められず、ただ脾臓のやや肥大している事実が認められるにすぎなかった。しかしそれも、ニコラが、アルコオル中毒患者だったことを思えば、べつに不思議はない。さらに、弁護側証人として出廷した化学者のラスパイユにいたっては、オルフィラと全く反対の意見を述べて、並み居る判事や検事たちをすっかり面くらわせてしまったのである。彼の陳述の要点は、ほぼ次のようなものだった。

>「砒素は自然界のいたるところに見出されるものです。たとえば、あの裁判長の椅子の中にだって存在しております。この机の緑色の紙だって、砒酸銅の混合物が塗ってあるのです。たとえば砂の中に石灰と蛋白質が混っているように、土壌の中にも、その構成要素として、砒素が混っていたとしても少しも不思議はありません。このように、砒素は堆肥からも、塵芥からも、色のついた紙や絵具からも生じるものだとすれば、一般に雨水の浸透によって墓穴の土の中で分解腐敗した屍体の中に、砒素が混っていないとは、誰にも断言できないのです。」

はたして、墓地の土の中には砒素はどれくらい含まれているものか、屍体の浸透は可能かどうか、―この問題は、その後の裁判でも何度となく蒸し返され、十九世紀の化学者たちの頭をさんざんなやましたものであった。今にいたるまで、学者の意見は二つに分れており、決定的な答えは出ていないのである。

いずれにせよ、砒素が自然界にひろく分布しており、しかもこの毒が、正常状態の人間の身体の中にも存在しているのだということが証明されるまでには、この事件以後、A・ゴオティエとかG・ベルトランのような学者のいろいろな実験や研究が必要であった。

メルシエ事件では、しかし、裁判所に権威のあるオルフィラの意見が通って、死後の屍体浸透を可能とする弁護士の主張は認められず、メルシエは無期懲役を科せられることになった。一方、メルシエの妻は無罪の宣告を承けた。

#ls2(毒薬の手帖/砒素に関する学者の論争)

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