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*裁判をうけながら肖像画を描かせた、フランス革命の女闘士

 アメリカで、美人女優のジェーン・フォンダが、反戦運動に打ちこんでいることは、みなさんも新聞などによってご存知であろう。政治は男のやるもので、女性は昔から、政治には無関心ということに決まっていたが、近ごろでは、そうでもないようである。フォーク歌手のジョーン・バエズが、やはり反戦運動で刑務所に入っていたこともある。

 これからお話するフランス大革命当時のシャルロット・コルデーは、いわば、こうした政治的女性の元祖のような人物であった。

 ノルマンディーのシャンポーという町の近くに生まれた[[コルデー>シャルロット・コルデー]]は、家庭は貧しかったけれども、大へんな勉強家で、ごく若いころから、フランス革命の理想、自由・平等・博愛の理想に情熱を燃やしていた。母親が死んでから、一時は修道院に入っていたが、その後は、カーンという町の従姉妹の家で暮らしていた。「カーンの処女」と彼女が呼ばれるのは、そのためである。

 当時、革命の指導者はマラーで、パリでは、革命の行き過ぎによる暴力行為や残虐行為が頻々と行なわれていた。マラーは冷酷で残忍な男で、一説によると、牢獄の庭に見物人席をつくり、男は右側、女は左側と区別して、貴族の絞首刑の有様を見物させようと計画していたという。

 こうした暴力行為を見るにつけ聞くにつけ、[[コルデー>シャルロット・コルデー]]は、居ても立ってもいられない気持になった。残忍な革命の指導者マラーを殺さなければ、流血の悲惨事はどこまで発展するか分らない、と考えるようになった。

一七九三年七月十一日、彼女は意を決して、カーンからパリへやってきた。そうして機会をうかがっているうちに、二日後の七月十三日、とうとうマラーの家に侵入することができた。たまたまマラーは入浴中であった。[[コルデー>シャルロット・コルデー]]は、その裸の胸もとに、短刀をざっくりと突き刺した。

 画家[[ダヴィッド>ルイ・ダヴィッド]]の名高い絵に、『マラーの暗殺』(ブリュッセル、王室美術舘)という題のものがある。頭にタオルを巻き、浴槽から裸の上半身をあらわしたマラーが、右手に鷲ペンを握り、左手に紙片をつかんだまま、のけぞって死んでいるのである。その胸には刺された傷あとがあり、浴槽の前に、短刀がころがっている。マラーは湿疹性の慢性皮膚病に悩まされていたので、風呂のなかを仕事場とし、浴槽に机がわりの横板を渡して、その上で書き物をしていたのであった。

#ls2(女のエピソード/シャルロット・コルデー)

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