(4)ラファルジュ夫人事件

この事件は、十九世紀フランス犯罪史上に不朽の名をとどめた事件である。何度となく人々の口に語られたし、数限りない解釈が下されている。百年異常たった現在でも、まだ新解釈を試みて、終身懲役になったラファルジュ夫人を聖女に祭り上げようと苦心している物好きな人間がいるくらいである。

フロオベエルの『感情教育』の冒頭に、主人公のフレデリック・モロオが田舎の母の家に帰ってくると、たまたま集まっていた客の一人から、いきなり「ラファルジュ夫人のことをどう思います?」と訊かれてびっくりする場面がある。それほど、この事件は、当時の人々の話題になったのだ。

学者のあいだでも、メルシエ事件と同じく意見が真っ二つに分れ、投与された薬物について、真の死因についても、また内臓の分析について、何度となく激しい論争が行われた。

では、まず毒殺と見なされた事件のあらましを述べてみよう。

ラファルジュ夫人は旧姓をマリイ・カペルといい、一八一六年、近衛隊大佐の父と、社交界に出入りしていた母とのあいだに生まれ、パリで立派な教育を受け、何不自由なく成人した美貌の女性であった。もっとも、彼女の家はそれほど裕福であったわけでもなく、弐拾四歳で四つ年上のシャルル・プウシュ・ラファルジュという男と結婚したとき、彼女の携えた持参金はごく少なかった。

ラファルジュ氏は、南仏コレエズ県グランディエという町で鉄工場を経営しているほどの男だったから、相当の財産家であり、最初の結婚で妻をなくしていた。いわば、マリイは後妻に迎えられたわけである。

ところで、この結婚生活には最初から不吉な影がさしていた。まるでゾラの小説のようである。パリで生まれてパリで育った上品な教養のある妻と、田舎暮らしの粗野な工場主の一家とは、あまりにも肌合いが違いすぎた。汽車に乗って田舎町にやってきた若い妻は、夫と一つ屋根の下に暮らすようになってからも、九日間、肉体的関係を拒否しつづけたと言われる。

マリイが田舎の家に慣れるまでには、ずいぶんいろいろな悶着があったらしい。若い妻が離婚を求める手紙を書いて、家を飛び出したこともあった。その手紙には、自分がどうしても夫を好きになれないこと、愛する男がほかにいること、もし離婚を認めてくれなければ毒を嚥んで死んでしまうことなど、脅迫じみた言葉さえ書いてあった。

それでも彼女はあきらめて、何とかラファルジュ家に落着くようになり、人の好い夫と生活を共にするようになった。夫は新妻を心から愛していて、彼女の美貌や教養に満足していた。といっても、このラファルジュ氏という男は、それほど無教養で無骨者だったわけではなく、化学の知識をちゃんと身につけていて、その頃、何か工業上の新らしい機械装置を発明していたほどであった。そして、この発明に関する特許権を取得するために、彼は1839年十一月二十日、パリに向かって出発したのである。事件はその旅先で起った。

田舎にいる家族から、パリのラファルジュ氏の宿舎へ、ある日、小包が届いたのだ。開けてみると、中身は手製のシュー・クリームだった。妻の写真や手紙も入っている。フランスの田舎では、家庭でシュー・クリームをつくるのだ。ラファルジュ氏は喜んで、この妻からの贈り物をむしゃむしゃ食べた。それから猛烈な嘔気に襲われて、苦悶しはじめた。…

あとで調べたところによると、しかし、このシュー・クリームをつくったのは、妻のマリイではなく、ラファルジュ氏の母親やその他の女たちで、マリイ自身は台所には一歩も足を踏み入れなかったという。ところが、それより数日前、鼠を駆除するために、薬屋で砒素を買ったのがマリイだったのである。誰がシュー・クリームに砒素を混ぜたのか?

それに、ラファルジュ氏は子供の頃から癲癇の持病があり、よく発作を起すことがあった。パリの旅先では、期待した特許権取得の手続がうまく行かず、彼は毎日歩きまわっていたので、非常に疲れていたという事情もあった。あるいは単なる消化器の病気だったかもしれない。

ともあれ、ラファルジュ氏の発作は一時おさまり、グランディエの町に帰ってくるまで小康を保っていた。死んだのは自宅に戻って来てからである。妻や母親に看病されながら、彼は千八百四十年一月十四日に息をひき取った。―そうなると、必ずしも毒がシュー・クリームの中に混っていたとは推断できないことになる。つまり、自宅に戻ってきてから、何物かによって毒を盛られたのかもしれないのだ。

ある人たちの証言では、病気の夫が戻ってくると、マリイは献身的に看病に当ったという。また別の証言では、彼女は獲物から目を離さぬ猫のように、じっと夫の死んで行くさまを冷静に眺めていたという。

こうしてラファルジュ氏が死んでから、まず最初に、毒殺の嫌疑があるとして騒ぎ出したのは、個人の母親であった。ただちに当局の注目するところとなり、墓をあばいて遺体が発掘され、内臓の分析が行われた。この調査がどれほど厳密な監督下に行われたかは、知る由もないが、とにかく分析の結果、黄色い亜砒酸の沈殿が発見されることになり、千八百四十年一月二十五日、嫌疑を受けたラファルジュ夫人は、有無を言わさず逮捕されてしまったのである。

すると、ちょうど時を同じくして、思いがけない奇妙なことが起こった。ラファルジュ夫人の少女時代からの親友であるマリイ・ド・レオトーという女が、一年ばかり前、自分の家で、ラファルジュ夫人ダイヤモンドを盗まれたことがあると、当局に訴え出たのである。事の真偽はともかく、このことは、ラファルジュ夫人に対する当局の心証をいちじるしく悪くする効果があった。

こんな風にして、やがて毒殺事件の法廷が開かれたのは、九月九日、テュールの重罪裁判所においてであった。彼女は被告として、そこに出廷しなければならなくなった。

しかるに、法廷はまたしても毒物学者たちの大論争の場と化してしまったのである。最初、鑑定のために呼ばれた医者たちは、全員一致して、屍体の中には砒素は存在しないと証言した。業を煮やした検察局は、ふたたび例の大学者オルフィラの登場を懇請することになった。この法医学界の大御所なら、どんなところからでも砒素の極微量を発見してくるにちがいない。

実際、当時のオルフィラの名声ならびに権威ときたら大したもので、当人も自信満々、必らず被疑者に対して退っぴきならぬ証拠を見つけ出してくる。その唯我独尊ぶりには、反対派の学者たちの顰蹙を買うほどのものがあったのである。

オルフィラの陳述の要点は、ほぼ次のようなものだった。すなわち、ラファルジュ氏の屍体には確かに砒素が存在している。この砒素は、解剖に用いた試薬から出たものでもなく、間の周囲の土壌から出たものでもない。また、正常状態の人間の体内にある含有量から生じたものでもない。云々。

オルフィラの態度はきわめて威圧的かつ独善的なもので、是が非でも毒物の存在を証明してやろうという意図が、最初から、彼の気持ちのうち裡にあったもののごとくである。田舎の裁判所の鑑定人などに何が解るものか、という思いあがった態度も見てとれる。抽出された砒素の量は、わずかに半ミリグラムであった!

オルフィラの証言に力を得て、検察局は、ラファルジュ氏が何日ものあいだ妻に砒素を盛られた挙句、ついに衰弱して死んだのだという主張を執拗に繰り返した。かくて、裁判所もこの意見に左袒し、ラファルジュ夫人は終身懲役を宣告された。…

事件はこれで終りであるが、ここに、驚くべき後日譚があることを付記しておこう。かねて被告の弁護士は、オルフィラの論敵である化学者のラスパイユを法廷に召喚して、彼に屍体の再鑑定を行わせることを裁判長に申請していたのであるが、ラスパイユの到着が遅れて、その前に判決が下されてしまったのであった。そこで、ラスパイユは憤懣やる方なく、後にみずから調査した結果をパンフレットにまとめて、世論に訴えるという手段をとった。

それによると、ラファルジュ夫人は「嘆かわしい裁判上の誤判と、誤った化学上の調査方法の犠牲者」として、無実の罪に服しているのであった。

ラスパイユの主張は、ほぼ次のようなものである。すなわち、毒殺の訴えは、ラファルジュ家の陰謀によって、為されたものにすぎない。ラファルジュの死因は、実は砒素によるのではなく、診察のために呼ばれたレスピナス博士が誤って患者に与えた酸化鉄による。博士は患者の病状を誤診して、九オンスの酸化鉄を彼に投与したのであるが、これは胃病の患者九人を同時に殺すことが可能なほどの分量である。

なおまた、鑑定に際して採られた法医学的な処置は、きわめて杜撰なものであった。たとえば、屍体解剖(死後八ヶ月目に行われた)の報告書が存在しない。したがって、発掘された屍体がラファルジュの屍体であったと証言するものは、何もない。云々。…

こんな具合に、ラスパイユはいろいろな反証をあげて行って、最後に、確固とした化学的な証拠がないのにもかかわらず、裁判所がオルフィラの権威に屈服したことを激しく論難するものである。斯界の最高権威という名前だけにとらわれて、その他の反証をことごとく無視した裁判所のやり方は、非難されてしかるべきだと主張するのである。

こうなってくると、人間の判断というものが、いかにあやふやなものであるかが痛感されて、すべての裁判に不信の目を向けざるを得なくなるだろう。もしラスパイユの論理が正しくて、ラファルジュ夫人が無実だとすれば?…

ラファルジュ夫人自身、判決を受け手から六年後、切々たる気持ちを吐露して、モンペリエの牢獄から、審理の不合理を訴える長文の手紙をオルフィラ宛てに書いているのである。それはまことに筋の通った、堂々たる文章で、彼女の知性を信用せしめるに足るものだ。しかし、オルフィラはこの手紙に対して、頑固に沈黙を守ったようである。再審理要求の手紙は、かくて黙殺された。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:02:52