ちょうど同じ頃、ブランヴィリエ侯爵夫人も、パリ市立慈善病院へ頻々とあらわれ、貧しい病人への見舞いと称して、彼らに毒薬入りの葡萄酒やビスケットを与えて楽しんでいた。これは永いこと露見しなかった。

いつから彼女はこんな穏やかならぬ趣味をおぼえたのか。たぶん、サント・クロワの影響でもあろう。しかし、それがほとんど先天的とも思われるほど、容易に彼女の内部で彼女の本質と同化したのである。毒薬実験の対象になったのは病人ばかりでなく、彼女の家の小間使フランソワズ・ルッセルも、すぐりの実のシロップを幾杯かと、ハムの薄切れを一枚与えられて、あやうく冥土行きになるところだった。

サント・クロワは牢獄から出されると、エグジリに教わった秘法を用いて復讐することを思い立った。恋人にすっかりのぼせあがっていた侯爵夫人も片棒かつぐことになり、あろうことか、肉親の情を踏みにじって、父親に毒薬を盛ったのである。それも、毎日少しずつちびちびと盛り、八ヶ月かかって父親を殺したのであった。

煙たい父親がいなくなると、夫人は前よりも一層奔放になり、今度は遺産を一人占めするために、二人の兄を亡き者にしようとたくらんだ。犯罪は一六七〇年、彼女の命に献身的に従っていた下男ラ・ショッセの手によって、いとも容易に行われた。

二人の兄はおそろしい苦悶の末に息たえた。屍体解剖の結果(何しろ今までぴんぴんしていた人間が急にばたばた死んでしまったので)死因に疑問がもたれたが、夫人の周囲の者がかたく口をつぐんでいたので、捜査はすぐに打ち切られた。

もはや生得の傾向と見分けがつかなくなった夫人の毒殺趣味には、ほとんどマニアックなものがあったようだ。二度三度の成功に味をしめて、今度は昔の恋人ブリアンクウルをねらった。また、上の娘が少し頭が悪いので、殺してしまおうと考えた。最後に、良人がサント・クロワと男色関係にあることを知って、嫉妬のあまり、良人をも毒殺してしまおうとした。

ひとの好いブランヴィリエ侯爵は、不実な妻に毒を盛られたかと思うと、今度は友人サント・クロワ解毒剤を与えられ、死ぬにも死ねず、妙な具合に細々と命脈を保つことになった。

侯爵夫人の最後の懺悔聴聞僧であったエドモン・ピロ師が聞き出したところによると、ブランヴィリエ夫人はいつも用心ぶかく砒素の極微量を盛っていたので、周囲の者はみな、良人が脚の炎症で苦しんでいるものとばかり思っていた。一度に大量を与えると効果がはやくあらわれて、犯罪が発覚してしまう惧れがある、と彼女は述懐していたそうである。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:20