国際外交のかげに泣いた悲劇のヒロイン

 中国の王族の女性で、北方の蛮族の王を懐柔するため、その王の妻として遣わされた者を和藩公主《わばんこうしゆ》という。いわば政治の犠牲者で、悲劇の女性である。そういう女性たちのなかでも、いちばん有名なのが王昭君であった。

 現代の中国の外交は、ご存知の毛沢東語録と、ピンポンなどのスポーツによる外交で、きわめて明るい雰囲気になってきているけれども、の時代には、隣国と友好関係をむすぶために、隣国の王さまに身分の高い女性を提供するというのだから、じつに何とも野蛮な風習であった。今日ではとても考えられないことである。

 王昭君は、元帝の妃であったが、そのころの北方にあって、たびたびの領土内に侵入してきた匈奴《きょうど》(現在の蒙古地方に住んでいたフン族)の王のご機嫌をとるために、後官のなかから選ばれて、はるばる北の国の王のもとに嫁がされたのである。

 元帝の時代といえば、なにしろ今から二千年も昔のことであるから、この悲劇のヒロインの物語も、かなり伝説的なもので、史実としては認めがたい部分もあるようであるが、のちの時代の詩人や小説家は、好んで王昭君の悲劇をとりあげ、いろんなエピソードをこれにつけ加えたのだった。

 たとえば、つぎのようなものがある。

 そのころ、元帝の後宮の三千人の美女たちは、帝の寵愛を得るために、画家に賄賂を贈って、それぞれ自分の肖像画を美しく描いてもらおうと懸命に争っていた。元帝は、美しい女は自分のために取っておいて、いちばん醜い女を、匈奴の王にあたえようとしていたからである。ところが、王昭君だけは、自分が後宮で第一の美人であることをよく知っていたから、肖像画家に賄賂を贈らなかったのである。そのために、画家に醜く描かれてしまい、北方の蛮族のもとに嫁がされるという、いわば貧乏くじを引いてしまったのであった。


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Last-modified: 2009-03-25 (水) 23:06:01