ベネディクトス、Benedictus(480年頃-543年)

ヌルチア(現在のノルチャ)のベネディクトゥスは中世のキリスト教聖職者、修道院長。西方教会における修道制度の創設者である。ローマ・カトリックと東方正教会の聖人。イタリア語ではベネデット(Benedetto)と呼ばれる。

イタリアのモンテ・カッシーノに修道院を設け、西方教会ではじめて成文の修道会則を定めて、集団修道を行った。その創設した修道会をベネディクト会と呼ぶ。-wikipedia.jp

修道院は、修道士・修道女が共同生活しながら修行する場である。4世紀頃のエジプトにあらわれ、シリアに伝播し、さらにヨーロッパに伝えられた。この修道院を改善し、西ヨーロッパ独自の修道院制度を創始したのがベネディクトゥス(480頃〜543頃)である。 ベネディクトゥスは、イタリアの貴族の家に生まれ、ローマで哲学・法学を学んだが退廃したローマの生活に失望し、17才頃サビニ山中の洞窟で修行した。その後、祈りの他に労働や学問を日課とし、強い信仰心と高い教養をもつ聖職者の養成を目指して、ローマの南方のモンテ・カッシノに修道院を建てた(529)。

 ベネディクト修道院は、貞潔・清貧・服従を旨とし、「祈り、働け」をモットーとする聖ベネディクトゥス会則(戒律)を作り、これを厳格に守らせた。修道士達は、午前2時に起床し、午後8時に就寝するまでに、4〜5時間の祈りと6〜7時間の労働を行い、2時間の読書・写本に励んだ(シトー派修道会、6月の例)。修道院の生活は自給自足だったので、生活に必要な物は全て修道士の労働によって作り出された。そのため修道院は、民衆の教化という宗教的な面や開墾などの経済的な面だけでなく、学問研究などの文化的な面でも大きな功績を残した。

 聖ベネディクトゥス会則は、その後急速に西ヨーロッパ各地に広まり、ベネディクト修道院は多くの優れた聖職者を生み出した。彼らはゲルマン諸族の王をアタナシウス派に改宗させたり、辺境や異教の地での布教に活躍した。「大教皇」と呼ばれたグレゴリウス1世もベネディクト修道院で修行した1人であった。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/103-europe3.html

[#澁澤が書いたベネディクトベネディクトスという傍証はない]

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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:00:34