ここで、ふたたび話題をロオマの宮廷にもどそう。

ポンペイウスの手でロオマに伝えられたミトリダテス王の毒薬の秘宝が、やがて皇帝一族ユリウス家をめぐって頻々と起る陰惨な連続殺人事件に、はたして、直接の関係をもっていたかどうかは知る由もない。ともかく事の次第を述べてみよう。

権力につくやいなや、第二代の皇帝ティベリウスは、甥のゲルマニクスを厄介ばらいしてしまった。史家スエトニウスによれば、アルメニアとカパドギアで赫々たる戦功を立てた後、ゲルマニクスは三十四歳の若さで、アンティオキアの陣中で「毒殺の疑いのある衰弱死をとげた」のである。別の史家タキツスによれば、シリアの総督であったピーソーという者が、ひそかにティベリウス帝の命を受け、効果の緩慢な毒を彼に盛ったという。

ピーソーはもともと声望のあるゲルマニクスを嫉視していたので、毒だけの力では安心できず、野心家の妻プランキーナとともに、長方形の鉛の板に敵の名前を彫りつけて、地獄の神に祈る古来の呪法「デフィクシオヌム・タブラエ」を行った。

タキツスによれば、ピーソーの家には、「墳墓から発掘された血まみれの屍体の断片と、ゲルマニクスの名前の彫られた鉛の板と、護符と、魔法の文字が発見された」(『年代記』第二巻)そうである。

一方、スエトニウスはゲルマニクスの死の模様を、次のように記している。「どす黒い斑点と、口から吹き出した泡のほかに、彼の屍体が焼かれると、その心臓がまだ無事であることを人々は発見した。ところで、一般に信じられているところでは、毒に当った心臓は火の作用で勢いを盛り返すのである」(『十二皇帝伝』)と。

甥の葬儀のとき、皇帝は平然たる表情を持していたが、この犯罪の成果は期待したほどのものではなかった。ずっと後の話ではあるが、ゲルマニクスの息子のカリグラは、一説によると、父の復讐のため、やはり緩慢な毒をティベリウスに盛りつづけ、ついに待ち切れなくなって、カプリ島に引退した皇帝を布団で窒息させて殺したという。

ところが、そのカリグラもまた、妻ケソニアに飲まされた激烈な媚薬のせいで、あやうく命を落しかけ、最期は近習の者に殺される運命にあった。

彼は険闘士の階級を憎んでいたので、あるとき、コルンブス(鳩の意)という険闘士のひとりが試合に勝って、闘技場から出てくると、矢庭にその男の傷口に毒薬を注入して殺してしまったという。そして、この事実を記念するために、以後、その毒薬を「コルンビヌス」と名づけて愛用した。

この狂王の後を襲ったのが、親衛隊に擁された暗愚なクラウディウスである。彼は好色な二人の妻と、取り巻きの医師にすっかり骨抜きにされていて、医者たちは彼に四六時中ナイト・キャップをかぶせておいた。あわれな傀儡ともいうべき老人で、陰謀の犠牲者として斃れた。

すなわち、順当に行けば皇帝とその第一夫人[[メッサリナ>メッサリーナ]]の息子であるブリタニクスが継ぐべき帝位を、ネロに継がせようとして、ネロの母親であり皇帝の第二夫人であったアグリッピナが、有名な毒薬使いロクスタの手引きで、皇帝を殺害したのである。

クラウディウス帝はキノコが大好物であったので、アグリッピナは彼にキノコ料理をつくって進上した。一説によれば、毒味役の奴隷ハローツスがカピトリヌム丘での野外の宴会のとき、キノコを取って皇帝に差し出したという。

さらに、タキツスの『年代記』によると、皇妃アグリッピナの恋人であり医者であった、コス島生まれのクセノフォンという者が陰謀に一枚加わっている。すなわち、皇帝が毒に当って胸がむかむかしてきたとき、この医者が駆けつけてきて、吐かせてやるという口実で、皇帝の咽喉の奥に、即効性の毒を滲ませた鳥の羽を突っこんだのである。

ネロは大いに満足して、即位式の日、「キノコは神々の供御である」という、後生に残る名言を吐いた。

さて、次の犠牲者は誰であろうか。ネロは野心家の母が怖ろしく、また異母兄弟のブリタニクスに嫉妬心を燃やし、彼を殺すことに意を決した。

ようやく十五歳になったばかりのブリタニクスには、癲癇の持病があり、ときどき意識を喪失することがあった。だから彼が毒で苦しんでも、病気の発作のせいだと人々は信じるはずだった。しかし、はたしてその通りだったか。

女毒薬使いのロクスタが、ここでも陰の役割を演じていた。彼女はふだんは親衛隊長の管理する牢屋につながれていて、なにか陰謀の計画があるごとに、その身を自由にされて、秘密の相談を受けた。今度の場合も、仔山羊や、イノシシの仔や、奴隷などを使って、彼女の指導下に何度も実験を重ねた末に、電撃的な効果の毒薬が完成されて、ナルキッソスという者が、死の盃に毒薬を注ぐ役割を仰せつけられた。

この兄弟殺し事件の凄惨な場面は、フランス古典劇作者のラシーヌが見事に描写しているし、かつて文学座もこれを舞台にのせたことがあるから、御存じの方も多かろう。

タキツスの記述によれば、毒味役の奴隷が試食したあと、飲物をブリタニクスに差し出すと、彼は飲物がまだ熱かったので、ふたたび奴隷の手にもどしたそうである。そのとき毒物が投入された。それは怖ろしい劇毒で、一瞬のうちに、ブリタニクスは言葉もなく悶死した。

同席していた人々はみな、はっと胸をつかれて、ネロの顔をじっと窺った。ところがネロは、何くわぬ表情で、「どうせ癲癇の発作だろう、あいつは子供のころから、いつもこうなんだ。そのうち自然に直る」と言ったのである。

一方、アグリッピナは落着こうと努めていたにもかかわらず、恐怖と茫然自失の色をありありと浮かべていたので、彼女が事件と無関係なことはすぐ分った。一瞬の沈黙の後、陽気な宴会は再び始まった。

その晩にブリタニクスは死んだ。葬儀の用意はあらかじめ出来ていて、豪雨が降っていたにもかかわらず、大急ぎで埋葬が行われた。犯罪は誰の目にも歴然としていた。…

この事件に関係したネロの寵臣たちは、まるで不吉な暗号のように、その後ばたばたと死んでいった。

ネロの意志がそこにはたらいていたことは明らかである。ナルキッソス、パルラス、ドリュフォルス、ブルルス、そして最期に、ピーソー一派の帝位覆滅の陰謀に参加した哲人セネカも、自殺を命ぜられ、毒ニンジンを飲んで死んだ。

残るは奸婦アグリッピナである。ネロは母の後見が重荷に感じられて仕方がなく、機会あれば殺そうと企んでいたが、ブリタニクスの場合と同じ毒の方法を用いたのでは、あまりに見えすいていて、まずいと思った。そこで、あるとき彼女を小舟にのせて沖へ連れ出し、舟を沈めてやろうとしたが、この計画は失敗に終わった。

結局、アグリッピナは、ネロがさし向けたある百人隊長に刺されて死んだのである。そのとき、彼女は刺客に向かって、「お腹を刺しておくれ」と言ったそうである。あたかも最後の瞬間に、残忍非道の息子を生んだ自分の腹をみずから罰しようと望んだのでもあるかのごとく…

毒薬使いのロクスタはネロの宮廷で大いに羽振りをきかせ、弟子を集めて秘法を教えていたが、ガルバ帝の時代になって死刑に処された。彼女が死ぬと、さしもの連続殺人事件もばったり跡をたったようである

#ls2(毒薬の手帖/血みどろのロオマ宮廷)

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