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 しかしこの[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]は、子供のころから信心ぶかく、羊の番をしているあいだに、よく天使の声を聞いたり、神のまぼろしを見たりしたのだった。そのころ、フランスは国中をイギリス軍に占領され、悲惨のどん底にあったが、[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]は、[[王太子>シャルル七世]]をはげまして、国土をイギリス軍から解放しようと決心し、[[王太子>シャルル七世]]に会うために、はるばるシノンまでやってきたのである。

 [[王太子>シャルル七世]]から少数の軍隊をもらうと、[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]は白い馬にまたがって、その軍隊の先頭に立った。手にした軍旗には、百合の花の刺繍をした。ご存知の方もあろうが、百合の花はフランス王家の紋章である。この勇ましい[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]の姿を目にすると、にわかにフランス軍の兵士たちはふるい立って、英国軍に包囲されていたオルレアンの町を解放した。

 それからというものは、[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]のひきいるフランス軍は、まるで奇蹟のように、連戦連勝の勢いであった。[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]自身は、神のお告げによって行動しているつもりなので、絶対の信念がある。その信念によって、フランス軍兵士の士気はますます鼓舞され、逆に、イギリス軍兵士は、彼女をひどく怖れるようになった。魔女だという噂が流れ出した。

 だから、[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]が味方の裏切りによって、イギリス軍にとらえられると、さっそく宗教裁判所に引渡された。何とかして彼女が魔女だという証拠をつかむために、七十五人の裁判官が、五カ月もかかって、あの手この手の訊問を行なったのである。ところが彼女の応答たるや、じつに立派なもので、陰険な裁判官たちも因ってしまうほどだった。

 まだ十九歳になったばかりの、若い無知な百姓女が、こんな理路整然たる受け答えをする! しかし裁判官にとっては、それも魔女の証拠なのだった。

 結局、[[ジャンヌ>ジャンヌ・ダルク]]は異端者の宣告を受け、一四三一年五月三十日、ルーアンの町の広場で、生きながら焼き殺された。当時の宗教裁判がいかに残酷なものであったかを、私たちはジャンヌ・ダルクの物語によって、まざまぎと窺い知ることができるだろう。

 やがて十五年後に、ジャンヌ・ダルクの名誉は回復され、一九二〇年には、教会によって聖女の列に加えられた。魔女も聖女も、超自然の存在であることに変わりはない。

#ls2(女のエピソード/ジャンヌ・ダルク)

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