李白(りはく、701年 - 762年、長安元年 - 宝応元年)

中国盛唐の漢詩人。字は太白(たいはく)。飄々とした詩風から「詩仙」と後世の人は呼んでおり、杜甫と並び称される。絶句の表現を大成させた人物でもある。

李白の出身地は蜀とも言い、西域とも言われはっきりは解らない。 非常な酒好きであり、本人いわく常に酔っ払っているということで、玄宗の前に召されたときも酔っ払っていて楊貴妃に対して暴言を吐いたため、官職を首になったと言われている。もともと李白に官僚は似合わな過ぎると言えよう。安史の乱の時に永王李リン(リンは王ヘンに鱗の右側)の軍に参加したが、この軍が後に勝手に兵を集めたことで謀反の罪に問われたので李白も連座し、夜郎へ流されることになった。しかし流刑の途中に罪を許され帰還することができた。この時歌った詩が「早く白帝城を発す」である。その後の762年に酒の飲みすぎが原因で死去する。伝説では酔っ払って船に乗っている時に水面に映る月を捕まえようとして溺死したと言われる。杜甫とは親しく親交し、阿倍仲麻呂とも仲が良かった。-wikipedia.jp

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Last-modified: 2008-03-17 (月) 00:10:24