オレンジの果実に毒の匂いを嗅いだり、香水を滲ませた手袋や長靴に毒物の形跡を認めたり、さては恋の駆引のうちに毒を利用したりするといった、この時代に一般化した通念は、シェクスピアの芝居に頻々とあらわれる詩的な比喩を説明するに足るものであろう。

マクベス夫人やロメオが用いる不思議な眠り薬は、それを飲んだ者が仮死の状態に落ちこんだのか、それとも本当に死んでしまったのか分らないような怪しげなものだ。

ハムレットの父は呪われたヒヨスの毒を耳の孔から注がれ、全身の血が凍りついてしまう。

この戯曲では、最後に主要登場人物のほとんどが毒によって死ぬのである。王妃も毒酒に死に、ハムレットも険の毒に斃れるが、この毒は、王に言いふくめられたレアーティーズがイカサマ師から買取ったものとか書かれていない。わたしたちがこれを推理して、たとえばこの毒は矢毒《クラーレ》であろうなどと結論を下してみたところで、一向に始まらないのである。

ともあれ、イギリスでも君主が毒を極度に警戒していたことは事実であって、ヘンリ六世ロンドン市の薬種屋に、誰に対しても一切の薬品を売ってはならぬと厳命した。錬金術に熱をあげていたヘンリ八世は、ちょうどフランスルイ十五世がコオヒーを挽くことを好んだように、新しい薬品を調合することに楽しみを見出していた。

エリザベス女王も薬学に耽った好事家で、彼女みずから「健脳興奮薬」なるものを発明し、やはり錬金術に血道をあげていたボヘミアルドルフ二世に贈ったそうである。これは、琥珀麝香霊猫香を薔薇精に溶解したもので、おそろしく高価なものだったと言われる。

また女王は有名な魔法博士ジョン・デイウォルタア・ローリ卿とともに、まじめに解毒剤の製法を研究した。

スコットランドジェイムズ一世は、子供だましの解毒剤など頭から馬鹿にしていて、その代り、大逆罪をたくらんだ人間に対しては、容赦なく油の煮えたぎった釜のなかにぶちこむ刑を適用した。

この時代の有名な解毒剤は、ウォルタア・ローリ卿ジェイムズ一世の治世に、ロンドン塔に幽閉されているあいだに発明したものであった。

それは四十種の種子、草、皮および樹をアルコオルで侵出蒸留し、さらにこれを多数の鉱物性および動物性成分に混合したもので、ロンドン薬局方に「ローリ糖果剤」の名で登録された。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:04