(8)薬剤師ダンヴァルの事件

今まで述べてきた事件はほとんど犯人が女性ばかりであったが、これから御紹介する毒殺事件は、男性のみを主役とした十九世紀間の著名な事件である。まずその筆頭に挙げるべきは、予審のあいだに激しい論争を捲き起したダンヴァル事件であろう。

モオブウジュ街で薬剤師を職としていたダンヴァルは、一八七七年、その若い妻に微量の砒素を少しずつ嚥ませて、彼女を毒殺したという嫌疑によって逮捕された。これは匿名の告発によるものであったが、じつのところ主治医の一人は死亡の原因を腸チフスと言い、他の一人は脳膜炎と言う始末で、いずれとも決定しかねる症状であったらしい。にもかかわらず、嘔き気と盗汗を伴なう漸進的衰弱によって死んだという理由で、法廷では毒殺の疑いが濃厚であるとされた。

このとき、名高い毒物学の権威ブーイ教授は、内臓鑑定の結果を反駁し、援用された症候は、毒殺を結論づけるにはあまりにも不十分であると主張した。神経性の腸炎などは、砒素中毒とよく似た症状を呈するものである。

それに警察当局が、どうしても被告の薬局に異常な砒素量を検出し得なかったので、予審は四ヶ月もの長期にわたって綿密に行われた。病人の部屋のカーテンも、絨氈も、夜具も、病人の着ていた衣類も、病人が飲んだ葡萄酒も、彼女が呼吸したにちがいない塵埃も、ことごとく分析の対象になった。これは当時としては、よほど念の入った捜査と言うべきである。

こうして発見された毒物の極微量によって、一八七八年五月、ついにダンヴァルは無期懲役の判決を受けねばならないことになった。しかし彼自身はあくまで無実を主張していたので、二十四年後にいたって減刑の恩典を受けたのに、さらに再審理を要求しつづけた。が、フランスの最高裁判所は新らしい事実の証拠がないという理由で、この要求を却下した。それでも一九二三年(判決を受けてから四五年目!)に、彼は有罪宣告を取り消され、それから少し経って死んだ。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:25