ある朝、鏡に向って化粧の最中、女中の不手際に苛立った伯爵夫人は、やおら振り向きざま、手にしたヘア・ピンで彼女の顔を刺した。悲鳴とともに血がほとばしって、夫人の白い腕に赤い斑点が散った。急いで拭い去ったが、すでに凝固した血もあった。ややあって、すっかり凝血を洗い落としてから、ふと腕に眼をやると、しばらく血の付着していた部分の肌が、気のせいか、白い半透明な蝋のような輝きをいくらか増したように思われた。夫人は放心したように、そのまましばらく自分の腕を眺めていた。―こんな場面を、わたしたちは空想のうちに思い浮かべてみる。

ともあれ、伝説によると、伯爵夫人はかつて六十人以上の美しい侍女を集めて宴会をひらき、宴果てるや、部屋のドアを閉ざし、泣きわめく侍女たちを次々に裸にして惨殺したという。そして、彼女らの血を桶に集め、みずからも毛皮やビロードの衣裳を脱いで、素裸になると、そのまばゆいばかりの白い裸体を血の桶に浸して喜んだという。

人間の血、とくに若い処女の血が、美容や回春の神秘な効果をあらわすものであるという説は、古くからいい伝えられており、錬金術の理論にも、そのような考え方は随所に見出される。聖堂騎士団と呼ばれた中世の異端的秘密結社の人間犠牲、カトリーヌ・ド・メディチ黒ミサ等、すべてこのような理論の悪魔的な適用といえる。

聖書のレビ記には、「血はその中に生命のある故によりて贖罪をなす者なればなり。汝らのうち何人も血をくらうべからず」と書いてあるが、―人間の血をもって生命の中心となす思想は、おそらくこの辺から生じたのであろう。

エルゼベエトの伝記を書いた十八世紀のイエズス会神父ラスロ師の言葉によると、「彼女の最大の罪は美しくなろうとしたこと」だった。自分の肉体を美しく保つためには、彼女は何ものをも犠牲にして悔いない精神の持主だったようだ。彼女ほど極端な自己中心主義者はまれである。いつも鏡のなかに自己の美しい容貌を確認していなければ気がすまない彼女にとっては、神も、地獄も、まったく眼中にないのだった。その破戒無慙な生涯を通じて、彼女は、ただの一度も悔恨の念に良心を苛まれたことがないのである。


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Last-modified: 2008-03-17 (月) 00:05:00