こんな有様を見て、国中の民衆が不満をいだいたのは当然である。ローラに味方する党派もあったが、過激なミュンヘン大学の学生たちは、武器をもって起ち上り、妖女ローラを追放せよ、と国王に追った。いつの時代でも、若い学生たちの行動は過激である。

一人の妖婦の存在が原因で、国が二つに分れて市街戦をはじめたのだから、大したものである。ルドヴィヒ一世は、ついに退位を余儀なくされ、ローラは男装して、こっそり闇にまぎれてミュンヘンの宮殿を逃げ出さねばならなくなった。これが彼女の没落のはじまりである。

 その後、ローラスイスのジュネーヴに現われ、ここで回想録を出版した。

 それからロンドンで結婚したり、スペインヘ行って離婚して、アメリカに渡ってまた結婚して、重婚罪で訴えられたり、いろいろ話題をまいたが、若い頃からの放蕩生活のためか、三十を過ぎると急に色香の衰えた彼女は、だんだん世間から忘れられて行った。

 死んだのは、マンハッタンの貧民術の屋根裏部屋である。半身不随になって、たった一人で、さびしく死んで行った。まだ四十三歳であった。枕もとには薔薇の花があり、薄化粧をしていたという。


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Last-modified: 2009-03-25 (水) 23:02:42