年代ははっきりしないが、たぶん十七世紀終わり頃に発見された怖ろしい毒薬に、有名な「トファナ水」というのがある。南イタリアが発祥の地で、大いに流行したものであるが、この水薬の実在を疑うひともある。それというのも、トファナという名前の悪女が三人、それぞれ時代を異にして生きていたからだ。

最初の女は一六三四年、パレルモで処刑された。二番目の女は一六五一年、ロオマで静かに死んだ。三番目の女は一七八〇年頃、ロオマのある修道院に籠っていて、そこへ訪ねてくる女たちに小さな瓶を売っていた。瓶のレッテルには「ナポリ水」「ペルギア水」または「パリの聖ニコラの糧」と書いてある。表向きは化粧品のようであるが、実は、激烈な効果を有する毒薬なのであった。(ちなみに、トファナ水がボルジア家で発明されたという説もあるが、これは明らかに間違っている。)

いずれにせよ、トファナ水には二種類あったらしく、―オーストリアのカルル六世の侍医であったガレルリが述べているところによると、その一つは、金魚草を浸出蒸溜した液体に亜砒酸を溶かし、さらにこれにカンタリスを加えたものだという。もう一つの種類も、やはり何かの植物を基本にして製せられたものにちがいないが、全く無色透明な液体なので、見たところでは、これが毒薬だとは誰しも考え及ばないのだった。

一七三九年版の『著名裁判集』という本によると、トファナ水は「石清水のように透明で、しかも無味無臭である。だから人はつい油断をするのだ。この毒は胸を侵し、容易に治らない炎症を惹き起す。死んだ場合には、肺炎で死んだように見える。」

要するに有名なトファナ水とは、亜砒酸の溶液か毒草のエキスだと思われるが、これを一日に五六滴ずつ飲んで行くと、最初のうちはぼんやりした不快感を感じるだけなのに、やがてだんだん食欲がなくなって、ついには全く物が食べられなくなってしまう。次第に倦怠感が激しくなり、次第に衰弱して、医師にも原因が容易につかめぬままに、何カ月も憔悴した生活をつづけた挙句、蝋燭の火が消えるように死んでいくのである。(ガルティエ『法医学的毒物学』一八四五)

一説によると、トファナには一人の熱心な女弟子がいたのだそうである。それはスカラという名前の名高い毒婦で、百五十人を擁する女毒殺団の首領だった。そして、この女毒殺団は、虚弱な夫や年とった夫を毒で厄介払いしてしまうことを信条としていたらしい。

トファナ水やスカラの秘密は、後世に伝えられたのであろうか。とにかく十八世紀の末にいたっても、相変らずトファナ水は世間の噂の種になっており、イタリアの化学者はその危険を十分承知していたようである。十九世紀初めに書かれたスタンダールの『ロオマ散歩』にも、トファナ水に関する記事があるから、次に引用してみよう。

>「トファナ水は四十年前にはまだ実在していたと考えている人がいる。それは無味無臭の液体であった。毎週一滴ずつ飲まされると、二年後には死んでしまう。二年経たなくても、そのあいだに病気にでもなれば、どんなに軽い病気であっても、それが命取りになる。それこそ毒薬使いの思う壺なのだ。トファナ水はコーヒーに混ぜてもチョコレートに混ぜても、その力を弱めない。ただ酒がある程度その作用を無効にする。」(一八二八年四月五日付)

#ls2(毒薬の手帖/黒ミサと毒薬)

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