一九五四年春、ソヴィエトの軍隊はベルリンを三方から包囲した。大砲の音が遠雷のように市中に鳴りひびき、夜になると、窓から赤々と放火が見えた。

四月二十日、マグダは六人の子供を連れ、スーツケースを両手に持って、首相官邸地下の防空壕に避難してきた。ちょうどヒトラーの誕生日に当っていたので、小さな子供たちには「ヒトラー小父さんのところへ御挨拶に行きましょう」といって、御機嫌をとっておいた。子供たちは大層ヒトラーになついていたのである。

すでにゲッベルス夫人マグダは、六人の子供を道連れにして、夫とともに死ぬ覚悟をきめていたのだ。夫は南部ドイツに逃げることを勧めたが、彼女はこれを断わった。

ゲッベルスの家族がヒトラー、エヴァ・ブラウンとともに住むことになった防空壕は、地下五十フィートのところにある二階建の壕で、天井に当る部分は、厚い鉄筋コンクリートになっていた。階下が総統と[[エヴァ>エヴァ・ブラウン]]の住居で、一組になった六つの部屋が取ってあり、ゲッベルス一家は階上の三部屋に住んだ。そのほかにも小さな部屋がたくさんあって、地図室、電話交換室、発電室、衛生室など、まるで豪華な汽船の内部のように、あらゆる設備が整っていた。

マグダがここへやってくると、ヒトラーもまた、飛行機で南部へ脱出することを彼女にしきりに勧めた。しかし彼女は、自分の決意がすでに固いことを示して、この親切な忠告を辞退した。

翌二十一日、ソヴィエト軍の砲弾が初めて首相官邸で炸裂した。二十二日には、すでにベルリンは完全に包囲されていた。ここにいたって、ついにヒトラーも敗北を認めないわけにはいかなかった。

二十八日早暁、女流飛行士ハンナ・ライッチュの操縦する最後の飛行機が、総統の命を受けて、ブランデンブルグ門近くから南へ向って飛び立った。彼女がベルリン脱出に成功したのは、まさに奇蹟というべきである。マグダは息子宛ての手紙を彼女に託していた。これが事実上、彼女の遺言となった。

ヒムラー、ゲーリングらが逸早く総統のもとを去り、何とかして連合軍と秘密交渉をして、一命を取りとめようと必死になっていたころ、ゲッベルスのみはベルリンの防空壕のなかで、彼らの滑稽な最後のあがきを冷然と嗤っていた。たとえ戦争終結まで生きのびたとしても、連合軍がナチの幹部をそのまま放っておくはずはない。彼はそのことをよく承知していた。むしろ第三帝国と運命を共にして、自分の死を伝説の光輝でつつんでしまうに如《し》くなはい。―ゲッベルスは依然として、宣伝家としての天才を失ってはいなかった。

しかし、暗い防空壕のなかで十日間、子供たちは迫りくる砲火におびえながら、何をして過ごしていたことであろう。いちばん上の娘は十三歳だったから、近づく不幸を感得していなかったはずはないのだが…。

二十八日の夜から翌朝にかけて、ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚式が挙行された。十四年前、ヒトラーがゲッベルス夫妻の立会人を務めたように、今夜はゲッベルスが彼らの結婚式の立会人になった。

三十日の朝、ヒトラーは別れの挨拶をした。自殺したのはその日の昼過ぎである。弾丸は口のなかに撃ちこまれていた。[[エヴァ>エヴァ・ブラウン]]は毒を嚥んで死んだ。二つの屍体はガソリンで焼かれた。

翌五月一日の夕方、まずゲッベルスの子供たちが、眠っているあいだにエヴィパン(毒薬)の注射を受けて殺された。マグダは夫に腕を取られて、よろめきながら子供たちの部屋を出る。二人とも一言も発しない。

庭に出ると、すでにガソリン鑵が用意されていた。薄明のなかを、二人は静かに歩き出すと、ゲッベルスの手のなかで、ピストルが火を噴いた。マグダが倒れる。続いてもう一発。ゲッベルスが倒れる。

お互いにあれほど重い運命の鎖につながれ、互いにあれほど愛し合い、あれほど憎み合った二人は、ついにこうして、みずからの手で、みずからの生命断ったのである。屍体は完全に焼けつきず、黒焦げの状態で、翌日ロシア軍に発見された。

#ls2(世界悪女物語/マグダ・ゲッベルス)

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