最後に登場する寵臣は、エセックス伯ロバート・デヴルーである。弱冠二十歳にみたぬ水々しい美青年。これは、自分の没落を自覚したかつての寵臣[[レスター伯>ロバート・ダッドリー]]が、ふたたび自分の勢力を挽回するために連れてきた彼の義理の息子であった。

「背の高い均整のとれた身体、はっとするほど美しい明るい面ざし、夢みがちな眼」と歴史家は評する。ただし、この美青年、まことに衝動的で、短気で、不羈奔放で、分別とか慎重とかいう美徳にまったく欠けていた。

五十三の女王と二十歳の[[エセックス>ロバート・デヴルー]]。三十以上も年の違う二人の恋の語らいは、いったい、どんな調子であったろう。

ともあれ、めざましい昇進をつづける若者[[エセックス>ロバート・デヴルー]]にとっては、政敵であり恋敵である近衛隊長[[ローリ>ウォルタ・ローリ]]の存在が、つねに目の上の瘤であった。[[ローリ>ウォルタ・ローリ]]に関することで、何度[[エセックス>ロバート・デヴルー]]は女王と喧嘩したか分からない。

そして女王と衝突するたびに、妥協とか譲歩とかを知らぬこの無鉄砲な若者は、まるで駄々っ子のようにぷいと宮廷を飛び出してしまう。女王も最初のうちこそ意地を張っているが、たちまち不安になって、使者を立てて彼を呼び寄せる。二人は和解する。というより、女王が折れたのだ。これでは[[エセックス>ロバート・デヴルー]]がいよいよ増長するのも当然であろう。

女王も寄る年波には勝てなかった。実際、[[エリザベス>エリザベス一世]]はこの横紙やぶりの若者に、どんなにいらいらさせられたり悩まされたりしたか知れない。単に痴話喧嘩ばかりではない、政治や軍事上の意見の喰い違いもあった。

[[エセックス>ロバート・デヴルー]]の浮気の数々が噂にのぼりはじめると。女王は宮廷内で日に日に気むずかしく、疑いぶかく、荒々しくなった。噂の相手は[[マリー・ホワード夫人]]。[[エリザベス>エリザベス一世]]はこの女に何とか返報してやろうと機会をうかがった。

ある日、[[マリー・ホワード夫人]]が特別きれいに着飾って出仕した。夫人のドレスは美しい玉縁に飾られ、真珠と黄金をちりばめてあった。女王は何も言わなかった。が、明くる朝、女王はマリー夫人の衣裳箪笥から、ひそかに例の着物を抜き取って来させた。その夜のこと、女王は[[マリー夫人>マリー・ホワード夫人]]の着物をみずから着て、ひょっこり現われ、宮廷中をわっと湧かせた。

ところが、彼女は[[マリー>マリー・ホワード夫人]]よりもはるかに背が高いので、着物はつんつるてんで、その恰好は何ともグロテスクだった。「どう、淑女たち」と女王は言った。満場、息をのんでひっそりとした中を、女王は[[マリー夫人>マリー・ホワード夫人]]の前につかつかと歩み寄り、「御婦人、あなたの感想は?わたしには短かすぎて似合わないのじゃない?」

青くなった[[マリー夫人>マリー・ホワード夫人]]が、口ごもりながら「はい」と答えると、「あら、そう」と女王は言った、「もしわたしに似合わないなら、あなたにだって似合わないのじゃないかしら。わたしには短かすぎる、あなたには、着物の方が美しすぎる。どっちにしても、この着物は駄目ね…」言い終わると、女王は室外に歩み去った。

アイルランド総督を任命するために御前会議が開かれ、その席上、[[エリザベス>エリザベス一世]]と[[エセックス>ロバート・デヴルー]]の意見が真二つに割れたことがあった。このとき、骨の髄まで権力意志に憑かれた女王[[エリザベス>エリザベス一世]]が、美貌の魅力で自分をあやつろうとする若い向こう見ずな[[エセックス>ロバート・デヴルー]]を、初めて、憎悪の目ざしで眺めたのである。

二人は互いに自分の推挙する者を主張して譲らず、争う声はだんだん高くなった。ついに女王は断乎として、お前が何を言おうと、わたしはわたしの候補者を任命します、と宣告した。[[エセックス>ロバート・デヴルー]]はかっとなり、嘲るような身ぶりで女王に背を向けた。ただちに、女王は彼の耳を打つや、「悪魔の所へ帰れ!」と叫び、怒りで真赤になった。

その瞬間、理性を失った若者は、鳴りひびくような怒号とともに、剣の柄に手をかけて言った、「これは乱暴を召さる。我慢なりませぬぞ…」

ノッチンガム卿に抱きとめられなかったら、彼は女王に斬りつけたかもしれない。[[エリザベス>エリザベス一世]]は身動きもしなかった。息づまるような沈黙。[[エセックス>ロバート・デヴルー]]は室外に走り出た。…

それから三年後、彼はアイルランド制圧に失敗し、女王の寵を完全に失い、焦燥と絶望のあまりロンドン市民の蜂起を企て、挫折して投獄され、ついに斬首されるのである。

[[エセックス>ロバート・デヴルー]]の処刑の報告を受けた女王は、すでに六十七歳の老境にあった。永久に失われたもののために、この処女王は、どんな苦い涙をこぼしたろうか。

死刑執行人のふるった大斧は、彼女のかつての恋人の命を絶つとともに、彼女自身の華やかな感情生活にとどめを刺したのである。
#ls2(世界悪女物語/エリザベス女王)

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