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*二十年は処女、十五年は娼婦、七年は女衒だった女

ポンパドゥールといえば、今では髪型の名として、女性のあいだに知られているのではなかろうか。それでも、彼女が十八世紀のフランス王ルイ十五世の愛人で、ロココ文化を代表する貴婦人であったというぐらいのことは、漠然とながら、誰れでもご存知のことであろう。

まず、髪型の話から始めよう。

十八世紀のフランス宮廷は、なにしろ男が刺繍をしたり、髪の手入れに非常な時間をかけたりするという時代だから、女のお洒落となると、気違いじみたものがあった。この時代に、大いに流行した女の髪型は、「フォンタンジュ風」というやつで、前髪を額の上に塔のように高くそびえ立たせる髪型である。馬車に乗るのに、頭がつかえて困ったというほどの高さであった。フォンタンジュというのは、ルイ十四世の愛人の名前である。

ポンパドゥール夫人は、しかし、フォンタンジュ風を好まなかった。彼女の髪型は、きわめて単純で、髪の毛を頭のまわりに平べったく巻きつけただけのものである。そのままベッドに入ることもできるので、情事のためには便利である。髪型が小さくなると、逆に、スカートを大きくひろげることが流行したという。

ルイ十五世の情事は有名で、愛人は数え切れず、生ませた私生児の数は三十人だったというから、驚くべきである。そのなかで、いちばん王の心をしっかりつかみ、二十年以上にわたって、事実上、フランスを支配することになったのが、ブルジョワ出身の[[ポンパドゥール夫人>ポンパドール夫人]]である。彼女には敵が多く、ずいぶん悪口も言われたが、実際は、彼女くらい魅力があり、教養があり、文学者や哲学者と対等につき合えるほどの知性のあった女性は、めずらしいのである。[[ポンパドゥール夫人>ポンパドール夫人]]が死んだとき、彼女の敵のひとりは、こんな皮肉な墓碑銘を考え出した。
   二十年は処女、十五年は娼婦、
   七年は女衒であった女、ここに眠る。

#ls2(女のエピソード/ポンパドゥール夫人)

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