バートリ家には、永いあいだの近親結婚による、奇怪な遺伝的痼疾がいくつかあったらしい。淫乱症もその一つであり、癲癇もその一つである。エルゼベエトの叔父のポーランドステファン・バートリも、癲癇で死んでいるし、父方の叔母クララ・バートリは、四回も結婚し、二番目の夫をベッドのなかで窒息死させている。そのほか狂気、残忍、むら気、魔術への耽溺などといった徴候が、この誇り高き家系のうちに見出される。

義母が死ぬと、エルゼベエトは夫につれられて、皇帝マクシミリアン二世の宮殿のあるウィーンへ遊びに行った。舞踏会や音楽会で、皇帝は彼女の冷たい美しさを大いにほめたという。このハプスブルグ家の神秘愛好家は、もしかすると、彼女の裡におのれの同類を見ていたのかもしれない。

夫は一六〇四年、伯爵夫人が四十四歳のときに死んだが、すでにその前から、夫人が女中たちをひどく虐待し、しばしば彼女らを死にいたらしめることもあるという噂は流れていた。正確なところ、いつから夫人が血の渇きをおぼえ、いつからこんな残虐な趣味にふけり出したのかは分らない。女中たちは、女主人の朝の化粧の手伝いをするのを怖れるようになった。

人里離れたチェイテの城の暗い地下室が、彼女の隠微なエロティシズムの欲求に、恰好な舞台を提供した。地下室は元来、穀物の貯蔵に使われるものだったが、いつのころからか、それが秘密の処刑の部屋に一変したのである。

不吉な評判が立っていたにもかかわらず、貧乏な百姓たちは、その娘を城中へ奉公に出すことを躊躇しなかった。新しい着物を一枚やるといえば、母親は喜んで娘をさし出した。ヤーノシュと呼ばれる醜い小人の下男が、付近の村々から娘たちを狩り集めてくる役目だった。娘たちはまるでピクニックに行くように嬉々として城の門をくぐったが、ひとたび城中に入れば、もう生きて帰れる望みは薄かった。やがて彼女らは、身体中孔だらけにされ、あるかぎりの血をしぼり取られた末に、庭の一隅に埋められてしまう。庭にはブダペストから苦心して運んできた、美しい薔薇の花がいっぱいに咲き匂っていた。

伯爵夫人のまわりには、つねに彼女の気まぐれに奉仕する腰巾着のような女が何人かいた。もと夫人の子供たちの乳母だったヨー・イロナという醜い女は、いつも毛糸の頭巾を目深にかぶっていて、決して素顔を見せない。ドロチア通称ドルコという女も、無知な残忍な獣のような怪物で、女主人の前に生贄《いけにえ》の娘たちをつれてきたり、手荒く女中たちを折檻したり、さては魔法の呪文を女主人に教えこんだりした。(ちなみに、エルゼベエトは四人の子供の母になっていた。)

こんな卑しい拷問執行人のような女たちに取り巻かれて、夫人は城中でいよいよ孤独に、いよいよ凶暴に、その常軌を逸した振舞いを募らせてゆくのである。彼女はただ物憂げに、尊大に、命令を下しさえすればよいわけだった。

村の牧師ヤーノシュ・ポニケヌスは、しばしば奇妙な夜の埋葬に立ち会わされた。夜、彼のもとに使いがきて、あわただしく城中に呼ばれる。行ってみると、庭や畑の隅に土饅頭ができていて、そばには、手を泥だらけにした下男が鍬をもって立っている。闇のなかに、醜いドルコの顔も見える。はたしてだれが死んだのか。ふしぎに思いながらも、牧師は命ぜられた通り祈りの言葉を唱える。


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Last-modified: 2008-03-17 (月) 00:04:47