最近の新聞によると、アメリカで、ホモセクシュアルの男女がプラカードに「われわれの権利を認めよ」と大善して、デモ行進をやったそうであるが、清教徒的倫理観の支配的であった昔ならば、とても考えられなかったことである。これには社会情勢の変化も関係していようが、また今世紀における心理学や性科学の飛羅的な発達も、無関係ではあるまい。スエーデンのラルス・ウレルスタム博士のように、「あらゆる性倒錯という偏見を打破せよ。性犯罪に関する法律をさらに緩和せよ」と叫ぶ学者も出てきていをくらいなのだ。
 最近の新聞によると、アメリカで、ホモセクシュアルの男女がプラカードに「われわれの権利を認めよ」と大善して、デモ行進をやったそうであるが、清教徒的倫理観の支配的であった昔ならば、とても考えられなかったことである。これには社会情勢の変化も関係していようが、また今世紀における心理学や性科学の飛羅的な発達も、無関係ではあるまい。スエーデンのラルス・ウレルスタム博士のように、「あらゆる性倒錯という偏見を打破せよ。性犯罪に関する法律をさらに緩和せよ」と叫ぶ学者も出てきているくらいなのだ。
 要するに、性の世界における異常と正常、病気と健康のあいだに、はっきりした境界線を引くことは不可能なのである。性的倒錯の世界は、私たちに縁のない別世界ではなく、私たちのすぐ隣の[すぐ〜隣のまで傍点]世界なのだ。性的倒錯者は、たぶん、アパートの隣の部屋の住人なのだ。つまり、性欲とは本質的に倒錯をめざすものである、ということを頭に入れておいていただいて、私は今後、この「倒錯」という言葉を便宜的に使っていこうと思うのである。

#ls2(妖人奇人館/倒錯の性)

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