彼女がパリへ護送されると聞くや、野次馬連中が沿道にわいわい群がった。有名な毒殺犯人を一目でも見たいという心理は、昔も今も変らない。押収された彼女の持回り品のなかには、サント・クロワが所持していたような毒薬入りの小箱もあった。毒薬のほかには、一世を聳動させたスキャンダラスな彼女の告白録もあった。

獄に下ったブランヴィリエ夫人は、奪われた小箱を取り返すため、獄吏を誘惑するため、およぶ限りの力をつくした。が、それも無駄だと知ると、ガラスの破片やピンを嚥みくだし、肛門に棒を突っこんで自殺をはかった。まるで悍馬のようなおんなである。

有名な彼女の「告白録」には、とても公開を許せないような極悪非道の体験が山のように登場する。いわく、放火、兄たちとの近親相姦、手や口啌によるオナニズム、妻子ある男との姦通、鶏姦、堕胎、等々である。

彼女はまた、その生涯に犯した毒薬による数々の殺人を、ひそかに「告白録」のなかにぶちまけている。なぜ彼女はわざわざ自分の大罪の証拠を紙の上に残しておく気になったのか。

しかし、この疑問に答える前に、私たちは、史上有数の毒殺魔がほとんど必らずその大罪の逐一をぶちまけたい誘惑に抗し切れなかったという事実を、知っておく必要があろう。

ブランヴィリエもまた、共犯のラ・ショッセや、愛人のブリアンクウルに親しく秘密を打ち明けていた。ある晩などは、酔っぱらって、薬屋の娘に粉末状の昇華物を見せ、「これであたしは敵に復讐するのよ。これで遺産がころがり込むのよ」と、得意そうに言っていたという。…

メジエールで行われた第一回の尋問では、彼女は自分の書いたものを頑として認めなかった。そのあと、身柄はパリ裁判所付牢獄に移された。審問は、一六七六年四月二十九日から七月十六日まで、ラモワニョン裁判長係りで二十二回行われた。

貴族らしい尊大さと威厳を片時も失わず、いつも判事席に向かって昂然と顔をあげていた侯爵夫人に、並み居る判事たちは舌をまき、怖れをなした。この女には感情がないのだろうか、先天的に道徳感覚が欠けているのだろうか、と。

実際、彼女は、涙ひとつこぼさなかった。証人として出廷したブリアンクウルは、十三時間にわたって、彼女から悔恨の言葉を引き出そうと、懸命に努力したが、ついに匙を投げた。「あなたったら泣いているの。男のくせに、意気地がないわね!」彼女が洩らした言葉は、それだけだった。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:17