美しい湖水のなかにある陰鬱な城。囚われの女王。―これは、じつにロマンティックな空想力を掻き立てる風景である。この風景に、さらに女王の脱走という、一層ロマンティックな主題が結びつく。

脱走の手助けをしたのは、囚われの女王に思いを寄せる青年貴族、監視人の息子ダグラス・オブ・ロッチレヴェン卿である。青年はオールを漕いで、五月のほの明るい夜のなかを、湖の向こう岸まで小舟をやる。小舟のなかには、侍女の衣裳を着たメアリがいる。―この美しいロマンスは、メアリの生涯における最後のロマンティックな夕映えであろう。

こうして脱走に成功すると、メアリのうちに、ふたたび昔ながらの大胆さが目ざめる。たちまち六千人の軍隊を集めて、敵と対峙する。が、運命の神はもう彼女には微笑まない。戦いに敗れ、女王は数人の従者とともに、馬にまたがり、牧場を越え沼地を越え、森を抜け野を抜け、必死の逃走をこころみる。

やがて海辺に近いダンドレナンの僧院にたどりつくと、彼女はエリザベス女王に宛てて嘆願の手紙を書く。それからイングランドへ渡る。これが彼女の運命の分かれ目だ。時にメアリは二十五歳。そして事実上、彼女の生涯はこれで終わったのである。

それから以後の彼女の生涯は、牢獄から牢獄へと送られる、自由を喪失した灰色の年月にすぎない。宗教的にも政治的にもメアリと利害の一致しない立場にあるエリザベスは、決して彼女を自由の身にしないだろう。一五六八年から一五八七年までの十九年間、彼女は苛立たしい虜囚の生活に堪えねばならない。メアリの青春は枯れしぼみ、彼女の生命は徐々にほろびてゆく。

牢獄の外では、メアリを擁立してエリザベスを倒そうとする陰謀が、幾度か計画されては、その都度挫折する。イングランド両院は、メアリの処刑をエリザベスに強く要求する。この不気味な幽霊を追い払ってしまわないうちは、政府は枕を高くして眠ることもできない、というわけだ。

しかしエリザベスは、人民の目にはあくまで慈悲ぶかい女王として見られたいので、なかなか死刑の決定をあたえない。メアリメアリで、自分を裏切って幽閉した「お姉さま」に対して、最後の憎しみを爆発させる。この囚われの女が牢獄の中からエリザベスに放った言葉ほど、すさまじい罵りの言葉はない。エリザベスは女としての最後の肉体の秘密にふれられて、怒りに青ざめる。

結局、天に二つの太陽がないように、二人のうちの一方は滅びなければならなかったのである。

処刑は一五八七年二月八日朝、彼女の最後の獄舎であるフォザリンゲー城の大広間で行われることになった。

メアリは持っているだけの衣裳を全部点検し、最後の死の舞台に、最も豪華な装いをして立とうと考えた。それはまるで、女王というものがいかに完全なすがたで断頭台に進まねばならないかという模範を、後世に残そうとするためかのようだった。

貂の毛皮を飾った黒褐色のビロード製の上着。同じく黒い絹のマント。その黒っぽい衣裳をさらりと脱ぐと、絹の赤い下着がぱっと人々の眼を射る。これほど芸術的な死装束はなく、荘重な効果はすばらしかった。

女王は少しも慄えず、ほとんど嬉しげに死刑判決の告知を聞いた。断頭台を両腕でかかえ、首斬役人の斧の下に、すすんでその首をさし出した。最後まで王者らしい尊厳を少しも失わなかった。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:05:04