右京大夫(うきょうだいぶ)
生年は仁平二年(1152)、久寿二年(1155)など諸説ある。
宮内少輔従五位上世尊寺流藤原伊行(これゆき)の娘。母は大神基政(おおみわのもとまさ)のむすめ夕霧。

承安二年(1172)、高倉天皇の中宮となった平徳子(清盛の娘。のちの建礼門院)に出仕する。やがて平資盛(重盛の子)と恋仲になり、藤原隆信とも関係をもった。この間、多くの平家の公達と親交し、小侍従・藤原隆房ら歌人との交流もあった。
治承二年(1178)以前に宮仕えを退く。資盛は寿永二年(1183)七月、平家一門と共に都落ちするが、その直前に逢う機会があり、永の別れを告げられた。翌年、手紙を交わしたのを最後の交渉として、資盛は元暦二年(1185)三月、壇ノ浦に入水して果てた。都で恋人の死を聞いた後、大原寂光院に建礼門院を訪ね、その後比叡坂本を旅し、資盛の追善供養に努めた。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ukyoudai.html

代表作に建礼門院右京大夫集がある。

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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:05:47