詩人や最初の旅行家の物語には、解毒剤になるばかりか、毒の存在を告知するような動物性物質、あるいは鉱物性物質に関する空想的な記述があって、当時のひとびとの関心を強く惹いていた。セヴィライシドルスマルボドゥスヴァンサン・ド・ボオヴェアルベルツス・マグヌスなどといった学者が、こうした信仰をさらに強固にし、十三世紀以後大いに栄えた「金石誌」や「動物誌」への道をひらいた。瑪瑙血石紅玉髄紅縞瑪瑙などの宝石は、治療上の効能を有するものとして珍重されていた。こうして、宝石に関する一種の神秘象徴主義的な学説が中世期に誕生したのである。

有毒の泉のそばに置くと、紫水晶《アメチスト》や珊瑚や蟾蜍石《がまいし》(ヒキ蛙の頭から出たものとされていた太古の動物の歯牙の化石)などは、変色するものと信ぜられていた。また、《ドラゴン》の胃のなかで生じたものとされていた、一種の自然の結石である龍糞石蛇紋石などにも、同じような効能があると信ぜられていた。けれども龍糞石などという石は、実際には存在せず、ただ空想的な詩人や無邪気な学者の頭のなかにしかなかったのである。

一角獣の角も解毒用として、宮廷内で大いに珍重された。これも空想的な神話の動物で、実際に用いられていたのは、イルカに似た鯨目の海獣、一角魚《ウニコール》である。この海獣の牙は漢方でも解毒剤としてい用いられるが、西洋では、毒薬のそばに置くと湿り気をおびてくると信ぜられていた。この牙の一部を手に入れるために、領地を売ったり抵当に入れたりした金持の貴族も少なくなかったと言われる。カペエ王家では、この一角獣の牙を永いこと聖ドニ教会に保管させておいた。

「蛇の舌」と呼ばれた一種の護符も、毒除けとして中世紀に名高かった。実際に用いられたのは《さめ》の舌で、十四世紀の有名な旅行家ジャン・ド・マンドヴィルの『金石誌』には、これを毒の近くに置くと変色することや、話の下手なひとがこれを盛っていると、ふしぎにも話が上手になるという効能が書かれてある。十六世紀の金銀細工師は、貴族の用命により、とくに塩壺になかの毒を看破するためのものとして、この鮫の舌に宝石の細工をほどこしたりした。

オカルティズムや錬金術の熱心なアヴィニョン法王ジャン二十二世は、この「蛇の舌」や宝石の効能を固く信じていた頑冥な迷信家であった。まことに奇怪な法王で、アルビ派に対する法王庁の処置に反対したフランチェスコ僧ベルナアル・デリシウを牢屋にぶちこんだり、詩人ダンテを追わせたり、ヴィラノヴァ錬金術アルノルドの著書を焼かせたりして、文化人に対する迫害の手を一時も休めなかった。

あるとき、その甥が急死すると、法王はカオルの司教ユーグ・ジェラルディを告発して裁判所に引き渡し、生きながら彼の皮を剥いで焼き殺させてしまった。告発の理由は、この司教が甥を呪ったからというのである。法王は数知れぬ妖術使たちに自分が呪われていると固く信じこんでいた。

そんな被害妄想狂的な人物だったから、あるとき、新年の贈物として、フランスフィリップ五世から毒除けの二個の「蛇の舌」をもらうと、躍りあがって喜んだ。二個のうちの一つは、たくさんのルビーエメラルド真珠を嵌めこんだ、六本に分れた黄金細工の蛇の舌であり、もう一つは、十一本に分れた巨大な銀細工の蛇の舌であった。

しかし法王をさらに狂喜させたのは、一三一七年に、ベアルン公爵夫人から貸してもらった「蛇の角」の柄のついたナイフであった。「蛇の角」といっても、実際は犀《さい》の角で、やはり毒除けの護符である。品物の引き渡し式は厳粛に行われ、正式に借用証書が書かれた。ジャン二十二世はこのナイフを十年以上も自分のものとして手もとに保管していたが、一三三一年になると、公爵夫人の遺族たちが返してくれと言い出し、やむなくこれを手離すことになった。…

このように中世人が護符だとか、聖羊皮紙《フイラクチリイ》(ユダヤ人が左腕や額に巻きつけた、旧約聖書の文句を記した羊皮紙)だとか、解毒剤だとかの探求に熱心だったのは、結局のところ、彼らの無邪気さと、死に対する恐怖とがいかに大きかったかによって説明されるだろう。ロオマ法王までがこん迷信に取り憑かれていたとは、われわれには信じがたいことであり、さらに当時の民衆の心にどんな途方もない迷妄がひそんでいたかは、想像にあまることである。これを要するに、中世人の精神を支配していたアナロジカルな象徴主義にとっては、毒と魔術の脅威は一にして不可分だったのだ。

なおかつ、数少ない当時の文献を漁ってみても、解毒剤や護符が何らかの効果を発揮したという事実は、ほとんど全く見当らないのである。効果は純粋に心理的なものだったらしい。

ビザンチウムでは、美しい子供や立派な美術品に唾を吐きかければ、毒の予防になると信ぜられていた。羊皮紙を入れた財布とか、琥珀の首飾りとか、熊の毛でつくった腕輪とかを身につけていれば、解毒の効果があるとも言われた。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:16