今や形勢は逆転し、アグリッピナネロの権力を怖れる番になった。彼女は何とか奸策をめぐらして、ネロを懐柔し、反撃のチャンスをねらおうと考える。そのためには、いかなる手段をも敢えて辞さない。

以前から、この権力欲に憑かれた女は、恋愛を政治的手段として利用してきたのであった。兄カリグラを暗殺するために、レピドゥスに身をまかせたこともあり、皇妃としての地位を安泰に保つために、帝の寵臣パルラスに貞操を売ったこともある。今度の場合も、彼女は色仕掛けで息子を誘惑しようと考えた。不倫も背徳も、彼女はさらに恐れない。

ごてごてお白粉を塗りたくった若造りのアグリッピナが、息子に色目をつかい、帳《とばり》のかげで、みだりがわしい愛撫や接吻をあたえるのを、人々は驚異と畏怖の念に駆られて見守った。もともと意志が弱く、先天的に道徳観念の欠けているネロには、この誘惑をしりぞけることが困難であったであろう。

母子の醜関係はたちまち街の噂になり、広場には楽首や戯歌が貼り出された。

しかし、この関係も永くは続かなかったようである。やがてネロのほうで厭気がさし、息のつまりそうな母親の重圧をのがれるために、彼女をパラティヌス丘の宮殿から遠ざけてしまったのである。ローマ市内のアントニア宮殿に、彼女は押しこめられた。皇妃の昔日の権勢を知っている人には、これは驚くべき、革命にも似た暴挙であった。

アグリッピナは憤まんやる方なく、いらいらしながら時節の到来を待った。政治の舞台から退いた彼女の家は、ネロの支配体制に不満をいだく不平分子たちの集会場となった。ネロに冷たくあしらわれていたクラウディウスの娘オクタヴィアも、この家の常連になった。

そうこうするうちに、親衛隊によるクーデタの陰謀が発覚し、アグリッピナも、この計画に一枚加わっていることが知れたが、申し開きを迫られた彼女は言葉巧みに追求をまぬがれた。


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Last-modified: Sat, 26 Feb 2005 13:05:16 JST (5014d)