クラフト・エビング以来、性科学者によって分類されてきた性倒錯のうち、
今まで名前を挙げなかったものには、オナニズム、同性愛、トランスヴェステ
ィズム (衣裳交換)、ペドフィリア (少年愛)、ジェロントフィリア (老人愛)、
ピグマリオニズム (偶像愛)、ウロラグニア (放尿と結びついた性的満足)、コ
プロラグニア (排泄物と結びついた性的満足)、クレプトラグニア (窃盗行為
と結びついた性的満足)、オスフレジオラグニア (体臭によって誘発される性
的満足)、ピロラグニア (放火によって惹起される性的満足)、クンニリングス
(口と女性性器との接触)、フェラチオ (口と男性性器との接触)などの用語で
呼ばれているものがある。
 これらのうち、同性愛やサド・マゾヒズムについては、すでに多くのことが
語りつくされているように思われるので、私は、とくに私の関心をひく、ひと
りの変ったネクロフィル (屍体愛好者) の例をお話したいと思う。
 それはフランスのアレクシス・エポラール博士によってくわしく報告された、
ヴィクトル・アルディッソンという驚くべき男の場合である。アルディッソン
は新聞で「ミュイの吸血鬼」と呼ばれ、ピエルフウの精神病院に監禁された、
墓あばきの常習犯であったが、すこぶるおとなしい男で、医者の質問にもよく
答えたので、医者たちも彼には好感をもっていたらしい。
 三歳の幼女から六十歳の老婆までの女の屍体を発掘し、しばしば屍体を家ま
で運んできたが、直接的にも間接的にも、これに性的な凌辱を加えたことは一
度もなかった。十三歳の少女のミイラ化した首を、彼は非常に大事にしていて、
これを自分の「許嫁《いいなずけ》」と呼び、十字架だとか、天使の像だとか、ミサの本だと
か、蝋燭だとかいった奇妙な収集品のなかに加えて保存していたのである。
 警官に発見されたとき、彼の家の納屋の藁の上には、いちばん最近家に連れ
てきた三歳の幼児の屍体が、半ば腐りかけて置いてあったが、その頭には、古
い帽子がかぷせてあったという。ちょっと、ほほえましいような話ではないだ
ろうか。
 アルディッソンの職業は墓掘り人足であったから、屍体を手に入れるには都
合がよかったわけである。ありとあらゆる階層、ありとあらゆる年齢層の女を
彼は自分のものにした。といっても、前にも書いたように、性器による接触は
まったく行わず、ただ、ときどき愛撫するだけであった。「三歳から六十歳ま
で、どんな女でも自分は満足だった」とみずから語っている。
 ところで、おもしろいのは、たった一度だけ、彼が掘り出した屍体を、また
棄ててしまったことがあった。その屍体には、脚が一本しかなかったからであ
る。少女のふくらはぎが、彼にはいちばん魅力だったのだ。ほっそりした少女
の脚が、いわばアル・ディッソンのフェティッシュだったわけであり、その点で、
彼の美学は、あの『ロリータ』の作者のそれと同じだったのである。夢のなか
で、ふくらはぎの美しい少女が自分のまわりを飛びまわっている幻想を、しば
しば彼は見たという。
 たしかにアルディッソンは知能が低く、字も満足に書けないような男だった
が、一日中、熱心にジュール・ヴエルヌの冒険小説を読んだり、クラシック音
楽に耳を傾けていたりしたというから、また一風変った趣味の男だったわけで
ある。納屋のなかで、少女の屍体を相手に、彼はいろんなことを話しかけてい
た。
 犯罪史上に名高いネクロフィルには、墓場から屍体をあばき、これを凌した
ばかりでなく、ばらばらに寸断したというベルトラン軍曹など、明らかなネク
ロ・サディズムの傾向を示す者が多いように思えるが、このアルディッソンの
場合だけは特別で、なにかひどく幼児的であり、あたかもエドガー・アラン・
ポーのノスタルジアを稚拙に模倣したかのごとき印象をあたえる。私がとりわ
け興味をひかれる所以である。
 クラフト・エビング以来、性科学者によって分類されてきた性倒錯のうち、今まで名前を挙げなかったものには、オナニズム、同性愛、トランスヴェスティズム(衣裳交換)、ペドフィリア(少年愛)、ジェロントフィリア(老人愛)、ピグマリオニズム(偶像愛)、ウロラグニア(放尿と結びついた性的満足)、コプロラグニア(排泄物と結びついた性的満足)、クレプトラグニア(窃盗行為と結びついた性的満足)、オスフレジオラグニア(体臭によって誘発される性的満足)、ピロラグニア(放火によって惹起される性的満足)、クンニリングス(口と女性性器との接触)、フェラチオ(口と男性性器との接触)などの用語で呼ばれているものがある。
 これらのうち、同性愛やサド・マゾヒズムについては、すでに多くのことが語りつくされているように思われるので、私は、とくに私の関心をひく、ひとりの変ったネクロフィル (屍体愛好者) の例をお話したいと思う。
 それはフランスのアレクシス・エポラール博士によってくわしく報告された、ヴィクトル・アルディッソンという驚くべき男の場合である。アルディッソンは新聞で「ミュイの吸血鬼」と呼ばれ、ピエルフウの精神病院に監禁された、墓あばきの常習犯であったが、すこぶるおとなしい男で、医者の質問にもよく答えたので、医者たちも彼には好感をもっていたらしい。
 三歳の幼女から六十歳の老婆までの女の屍体を発掘し、しばしば屍体を家まで運んできたが、直接的にも間接的にも、これに性的な凌辱を加えたことは一度もなかった。十三歳の少女のミイラ化した首を、彼は非常に大事にしていて、これを自分の「許嫁《いいなずけ》」と呼び、十字架だとか、天使の像だとか、ミサの本だとか、蝋燭だとかいった奇妙な収集品のなかに加えて保存していたのである。
 警官に発見されたとき、彼の家の納屋の藁の上には、いちばん最近家に連れてきた三歳の幼児の屍体が、半ば腐りかけて置いてあったが、その頭には、古い帽子がかぷせてあったという。ちょっと、ほほえましいような話ではないだろうか。
 アルディッソンの職業は墓掘り人足であったから、屍体を手に入れるには都合がよかったわけである。ありとあらゆる階層、ありとあらゆる年齢層の女を彼は自分のものにした。といっても、前にも書いたように、性器による接触はまったく行わず、ただ、ときどき愛撫するだけであった。「三歳から六十歳まで、どんな女でも自分は満足だった」とみずから語っている。
 ところで、おもしろいのは、たった一度だけ、彼が掘り出した屍体を、また棄ててしまったことがあった。その屍体には、脚が一本しかなかったからである。少女のふくらはぎが、彼にはいちばん魅力だったのだ。ほっそりした少女の脚が、いわばアル・ディッソンのフェティッシュだったわけであり、その点で、彼の美学は、あの『ロリータ』の作者のそれと同じだったのである。夢のなかで、ふくらはぎの美しい少女が自分のまわりを飛びまわっている幻想を、しばしば彼は見たという。
 たしかにアルディッソンは知能が低く、字も満足に書けないような男だったが、一日中、熱心にジュール・ヴエルヌの冒険小説を読んだり、クラシック音楽に耳を傾けていたりしたというから、また一風変った趣味の男だったわけである。納屋のなかで、少女の屍体を相手に、彼はいろんなことを話しかけていた。
 犯罪史上に名高いネクロフィルには、墓場から屍体をあばき、これを凌したばかりでなく、ばらばらに寸断したというベルトラン軍曹など、明らかなネクロ・サディズムの傾向を示す者が多いように思えるが、このアルディッソンの場合だけは特別で、なにかひどく幼児的であり、あたかもエドガー・アラン・ポーのノスタルジアを稚拙に模倣したかのごとき印象をあたえる。私がとりわけ興味をひかれる所以である。




#ls2(妖人奇人館/倒錯の性)

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