警察は何一つ手がかりをつかめず、事件は現在のところ、早くも迷宮入りにならんとする模様であるが、私は、もし宗教的儀礼としての殺人説が成り立つものとすれば、加害者は被害者の同意を得て、ある種の酩酊状態のうちに、犯罪を犯したのではあるまいか、と空想する。この仮説は、被害者の側に一種のタナトフィリア (死を愛すること)を容認しなければならない難点があるが、一部で噂が出たように、もし彼女が麻薬(とくにLSD)の常習者だったとすれば、それほど奇矯な仮説とも言い切れなくなってくる。
 ブリトン嬢がひそかに麻薬に溺れていたのではないか、という説が出てきたのは、彼女がアパートの室内の壁に、猫やフクロウ、象、キリンなどの絵を描いていたからである。LSDの常習者に、視覚的幻覚を絵画的に表現する傾向があることは、よく知られている。
 もし犯人が、夢のようなジャンク・トリップ(幻覚の旅)の最中に、自分を古代のゾロアスター教徒であると信じこんで、平常ならば考えられない残忍な犯行を犯したのだとするならば、宗教的儀礼としての殺人説は立派に成り立つし、現在、麻薬がさめて正常な行動にもどっている本人にも、犯行当時の記憶が果して薄れずに残っているかどうかは、はなはだ疑問であると申さねばならないだろう。
 また殺されたブリトン嬢自身も、氾濫する万華鏡のような美しい色彩の洪水のなかで、古代オリエントの夢に酔い痴れながら、何らの苦痛もなく、安んじて凶器の打撃をおのれの頭部に受けたのかもしれないのである。
 そういえば、ひと頃、ジャーナリズムの煽動によって、アメリカでLSD騒動が持ちあがったとき、LSDの教祖としてクローズ・アップされた心理学者も、ハーバード大学の教授であった。麻薬によって、私たちが今まで知らなかった自分の「内部の空間」「内部の精神世界」を開発しょうという、その心理学者の革命的な教説は、結局、社会の常識と衝突して、彼はハーバード大学を追われる羽目になったようだけれども。
 毒薬や麻薬が、つねに原始宗教やシャーマニズムと結びついていた、ということも知っておいてよいだろう。呪術による酩酊の状態、神がかりの状態への転位に、麻薬の薬理効果は昔から大いに利用されてきたのである。ゾロアスター教では、肉体は霊魂の墓と見なされるから、ジャンク・トリップによって、霊魂が肉体の外へふらふら出かけて行けば、願ってもない好都合だろう。どうも私には、べつに何の根拠もないのだけれども、ブリトン嬢が興味をもっていた東方の宗教は、ゾロアスター教だったような気がしてならないのである。
 先年、ビートルズがヨガに熱中してインドヘ行ったりしたことは、みなさんもよく御承知であろうが、オリエント、すなわちインドやイランは、近代西欧文明に飽きはて、大衆社会状況に息をつまらせたヨーロッパやアメリカの青年たちにとって、今や、まさに憧憬のメッカともなっているのである。考古学は、骨董趣味ではないのである。この殺人事件が、一見、ヴァン・ダインやエラリー・クイーンの古くさい推理小説もどきの体裁をとっていながら、そのくせ、何とはなしに現代の風潮を感じさせるのは、たぶん、こんな理由のためだろうと思われる。



#ls2(妖人奇人館/古代石器殺人事件)


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