最初、召喚された被疑者の数は四百人以上であったが、一六七九年四月十日に有名な火刑法廷が開かれ、三年余りにわたって蜿蜒と審理をつづけた結果、一六八二年七月二十一日、ついに確定判決が下された。しかし極刑を受けた者ははずかに三十六人で、その他の者は政治的な関係や、王家との親しい間柄を利用して、うまく刑をまぬかれ、国外追放になったり保釈になったりしただけだった。裁判などというものは、古今東西にわたってインチキなものである。((裁判については一言書かないと気がすまないのだろう。この作品執筆時にはまだ法廷闘争の最中だったと思われる。))

しかし、裁判の結果、いかに当時の貴族夫人やブルジョワ夫人が、恋人のために夫を殺そうとした例が多いかということが明らかになって、世の亭主族は怖気をふるったのである。

たとえばプーライヨン夫人という女は、シャンパーニュ地方の山林監督官夫人であったが、夫が横暴だというので、まず呪法によって夫の生命をちぢめてやろうとしたが、これが成功しなかったので、次には女妖術使マリイ・ボッスの意見にしたがって、砒素を滲みこませたシャツを夫に着せた。が、夫はやたらに身体の痒さを訴えるだけで、まだ死なない。そこで彼女は殺し屋をやとって、夫を刺させようとしたが、これも不首尾に終った。

ところがプーライヨン夫人は美貌で頭がよく、弁舌さわやかだったので、裁判官が丸めこまれてしまって、判決は国外追放というまことに軽微なものだった。一方、ブリュネというブルジョワ女は、やはり、亭主殺しの罪に問われていたのであるが、裁判所に縁故関係がなかったものだから、極刑を科されることになり、両手を斬り落とされ、絞首刑に処せられ、挙句の果てには、死体を焼かれてしまった。

ブーイヨン侯爵夫人のごときは、あたかも女王のように堂々と裁判所に乗りこみ、皮肉な口調で裁判官をやりこめては、面白がっているように見受けられた。ヴォルテエルが語っているところによると、悪魔を見たことがあるかという裁判官の尋問に対して、彼女は「ええ、いま目の前に見ていますわ。悪魔はとても醜男で、とても貧相で、役人みたような服装をしています」と澄まして答えたので、裁判官は苦り切って黙ってしまったそうである。

#ls2(毒薬の手帖/黒ミサと毒薬)

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