一六七七年九月二十一日、パリのサン・タントワヌ街の教会で、あやしい匿名の手紙が押収された。王と王太子がちかいうちに毒殺されるだろう、と、はなはだ穏やかでないことが書いてある。

当時、パリには頻々と毒殺事件が起っていたので、警察は必要以上に神経をとがらせていた。ついこのあいだも、王弟妃殿下《マダム》が水薬を飲んで奇怪な死をとげたばかりのところである。犯人はついに挙がらず、迷宮入りになっていた。それやこれやで、警察もこの匿名手紙事件を重視し、二ヶ月間慎重な捜査を進めた結果、その頃、「黒ミサ」にふけったり、毒薬を売ったりしていた何人かの容疑者を次々に逮捕して行った。ところが、芋蔓式にそれからそれへと捜査線上に浮かんできた容疑者のなかに、ルイ大王の愛人として知られた[[モンテスパン侯爵夫人>モンテスパン夫人]]が一枚加わっていたので、事は面倒になってきたのである。警視総監ラ・レエニイは頭をかかえないわけにはいかなかった。

これが史上に名高いルイ王朝の「毒薬事件」の発端である。その後、次々に貴族や、貴婦人や、ブルジョワや、怪しい坊主などが裁判所にしょっぴかれて、証言をさせられたり、自白を強制させられたりした、パリの町はてんやわんやの大騒ぎになるのである。

警察の密偵は到るところで暗躍していた。訴訟依頼者のない腕のわるいペランという弁護士も、警察にやとわれた密告者の一人であった。あるとき、彼がパリの上流人士相手の仕立屋ヴィグルウ夫人の催したパーティに出席すると、そこにマリイ・ボッスという有名な女占者が来ていることを発見した。ペランの第六感に、ぴんとくるものがあった。はたして、宴酣わとなり、座が乱れてくると、この女占者は酒に酔った勢いで、「毒殺って、いい商売なのよ。あと三人殺せば、あたしはお金持ちになって、商売から足を洗えるんだわ」などと、大声でしゃべりだしたのである。

耳ざとい密偵のペランが、この言葉を聞き逃すはずはなかった。彼はさっそく、その筋に御注進におよんだ。その結果、千六百七十九年一月四日早朝、マリイ・ボッスはまだ家で寝ているところを警官に踏みこまれ、有無を言わせず逮捕された。それから二ヶ月後の三月十二日、あの有名な女毒薬使いのラ・ヴォワザンが逮捕されたのも、このマリイ・ボッスの自白からだった。

取調が行われ、ラ・ヴォワザンが拷問に屈して、ついに自白をはじめると、並みいる裁判官も事件の異常さに、すっかり度肝を抜かれてしまった。悪魔礼拝などというものは中世記の遺物で、誰もこの十七世紀に、輝やかしいルイ大王の治世に、そんな古くさい陰惨な迷信がパリの町の真ん中で実行されていようなどとは信じていなかったのである。

#ls2(毒薬の手帖/黒ミサと毒薬)

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