さて、十六世紀から十七世紀にいたると、毒薬の全盛期が訪れる。この時代くらい、毒薬の恐怖がひろく行きわたり、毒殺事件が相継いで頻々と起った時代はない。生来病身であったルイ十三世も宰相リシュリューも、いわば毒殺恐怖症に取り憑かれていたと言ってよい。彼らは互いに手紙を交換しては、いつも自分たちの健康を確かめ合い、食物に対してはくれぐれも注意するように、互いに戒め合っていたのである。

マッソン博士の説によると、リシュリューが周囲にたくさん猫を飼っていたのは、単に彼が猫好きであったためばかりでなく、この動物によって食物の毒味をさせるためでもあった。

またルイ十三世が直腸から砒素を吸収して死んだという説も、あながち根拠がないわけではあるまい。もしこれが本当なら、彼はある種の変態性欲者に見られるような、生まれつきの灌腸マニアではなかったろうか。

太陽王ルイ十四世の周囲でも、多くの近親者や妻妾が原因不明の怪しい死に方をしている。その絶対権力によって全世界の中心となったルイが、器量自慢の宮廷の女たちの眼に唯一の憧れの的として映ったのもふしぎはない。家族の政略や夫たちの野心と結びついて、宮廷に出入りする娘や妻たちは、おのがじし太陽王とベッドを共にする光栄を夢みていた。

「夫は妻を国王のために人身御供とする」とアンドレ・モオロワが書いている。そういう次第で、絶対専制君主の淫らな欲望を満足させるために、隠微な、陰険な、執念深い闘争が[[ヴェルサイユ宮>ヴェルサイユ宮殿]]を中心に繰りひろげられたのである。モンテスパン夫人の黒ミサ事件も、その一環と言えよう。

[[ヴェルサイユ宮>ヴェルサイユ宮殿]]と古典主義美学に象徴される輝やかしいルイ王の治世の裏面にも、何度となく毒殺事件が起こっていたのでり、堕胎や、強姦や、近親相姦や、妖術による涜[旧字]聖などの怖ろしい訴訟事件が、当時のひとびとの耳目をそば立たせていたのであった。当時を生きた証人[[セヴィニェ夫人>セヴィニエ夫人]]が娘に宛てて、次のように書いている―

>「正と不正について申せば、遠くにいるあなたの目には、ここにいる私たちすべてがまるで毒を呼吸して生きており、涜聖と堕胎のさなかに暮らしていると思われるかもしれませんね?まったく、ここの風俗はヨーロッパ中をぞっとさせています。百年後に私たちの手紙を読むひとたちは、こんな事件を眺めて暮らした私たちをさぞ憐れにおもうことでしょう。」(一六八〇年一月二九日付書簡)

#ls2(毒薬の手帖/ふしぎな解毒剤)

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