一三世紀の大学者で錬金術の大家でもあったスペイン人ヴィラノヴァのアルノルドは、次のような奇妙な意見を述べている。

「黒い牡犬の胆汁に聖水を注いでおけば、悪魔の呪いを避けることができる。家のなかに牡山羊を置いておけば、すべての悪鬼は退散する。焼いたり煮たりしたカササギは、病人をして速やかに健康ならしめる。」

アルノルドはまた、シチュー料理に混ざった血や、腐敗した物質の危険についても語っている。初期科学の合理主義と、魔術の非合理主義とが奇妙に混淆している点では、彼もまた、アルベルツス・マグヌス、ロジャー・ベイコン、ラモン・ルルなど、当時の大学者のすべてに共通している。

魔術師やユダヤ人や医者とならんで、毒物学の発展にひそかに貢献した、もうひとつ別のグループがあったことを述べておかねばなるまい。当時の医学の中心はサレルノ、モンテ・カシノ、トレード、コルドバなどであったが、それらの大学とならんで、処々方々の修道院で薬用植物を栽培したことが、後に本草書、すなわち植物学の書籍を発達させる素因となった。

修道院には植物はもとより、鉱物、動物も集められていたが、それは聖職のひとびとが、同宗教の患者を実際に治療していたからでもある。修道院から出た本草書は、多くはフォリオ判大、挿絵をたくさん入れたもので、ルネサンス期まで大いに栄えた。

そのうち最古のものは『アプレイウス本草書』と呼ばれ、挿絵入りの手写本で、十世紀のサクソン判である。また、この十世紀にには他に三種類、薬学についての本草書が稿本体であらわれた。すなわち、『フォルトゥス・デリキアルム(悦楽の園)』『バルドの医療書』および『ラクヌンガ(処方)』であって、いずれも魔法、宇宙論、禁厭、本草医学を混合したような、一種の百科全書である。

そして、それらの類書には大抵、人間の首から大きな葉が数本放射状に生えた、いわゆる毒草の王者マンドラゴラの、稚拙な絵が描いてあって、妖しい雰囲気をかもしだしている。((マンドラゴラを抜く方法:マンドラゴラを引き抜く者はたちまち死ぬという。そこで、これを採るには先ず、その根を掘って綱を結びつけ、綱の端に犬を縛りつけ、肉で誘って犬に引き抜かせる。抜かれるとマンドラゴラは金切声をあげ、犬は悶死するという。ポエチュオの『不思議物語』(1560年)より))

『ラクヌンガ』の文章は一種の詩であり、作者はそのなかで、かつてトロイ戦争の勇士アキレスが槍に塗り、その傷を癒やすに用いたアキレヤ草(ノコギリ草の一種、キク科に属する)について語っている。以下に引用してみよう。

 草の最も古きもの、
 汝は三の草に当る力をもち、
 空飛ぶものの(虫の意)
 毒に対しては
 三十の力をもつ、
 この国をさまようなる、
 すべての毒なる物に対して力あり。


#ls2(毒薬の手帖/マンドラゴラの幻想)

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