さて、砒素の話はこれくらいにして、次はニコチンに移ろう。有名な例はボカルメ事件であるが、これは毒薬の犯罪史上から見ても実に珍しい衝動的、暴力的な犯行の例である。

元来、毒薬の犯罪はほとんど女性が独占しているという通説がある。アグリッピナ、ロクスタ、[[ブランヴィリエ>ブランヴィリエ侯爵夫人]]などといった史上に有名な名前を思い出すだけでも、この通説は真理であるかのように見える。しかし、例外というものはあるものだ。いや、そればかりか、最近の精神分析学の成果が示すところによると、先天的毒殺魔ともいうべき性格の人間にはむしろ男が多いのだそうである。彼らは事に当たるに沈毅果断、冷酷無残であって、ひとたび決心がきまれば絶対に躊躇逡巡せず、時には怖るべきサディズムの傾向をすらあらわすという。

女性毒殺者が尻ごみしたり迷ったり、日数を指折り数えたり、苦痛の効果を計算したりするのに対して、先天的な男性毒殺者は、決意を固めると同時に迅速機敏に行動する。この点が大いに違うところであって、ある場合には、男性の毒殺者は犠牲者の屍体に暴行を加えたり、屍体をばらばらにしたりするといった、倒錯的な性欲を行使することもあるという。 



ボカルメ事件は、このような男性毒殺者の傾向を典型的にあらわした例と言えよう。といっても、これは別だん性倒錯的な犯罪ではない。

イポリット・ボカルメ伯爵は極端な無神論者で、大旅行家で、妙なものを蒐集したりする癖のある、まことに奇矯な性格の男であったらしい。若い頃にジャヴァ、マライ群島、アメリカなどで生活した後、フランスに帰って一八四三年六月、リディ・フウニイという女と結婚した。彼女には持参金があり、また遺産を相続する見込みもあって、衰えかけていたボカルメ家にとっては、有難い話であった。

結婚すると、夫婦はベルギーのモンス近在のビトルモンという村にある先祖代々の城館にひきこもって、すばらしく豪勢な暮らしをはじめた。大そう仲がよくて、借金のことなんか少しも構わず遊び暮らしていた。それというのも、奥方には身体の弱い独身の兄がいて、いずれこの兄が死んだら、遺産が転がりこむだろうと考えて安心していたからである。

ところが、この病弱の兄がある夫人に首ったけになってしまって、どうしても結婚すると言い出したのだ。結婚すれば残された財産は当然、未亡人のものになる。これでは話が合わない。そこでボカルメ夫妻は、しきりに結婚に反対したのであるが、ついに兄の気持ちをひるがえさせることはできなかった。

そことき、ボカルメの心に卒然として思い浮かんだのは、彼が東洋にいるあいだに習得した植物学の知識であった。彼は約八十キログラムのタバコを購入し、これを蒸留してニコチンを採取したのである。当時、ニコチンはまだほとんど使用されたことのない新しい毒薬であった。

結婚式の前夜、ボカルメ夫妻は口実をつくって兄をビトルモンの城館に招待し、機を見てボカルメが義兄に飛びかかって、用意してあった小壜のなかのニコチンを無理やり彼に飲ませてしまった。

むろん、夫妻はすぐに逮捕された(一八四九年)。犠牲者の絶叫、突然の死はいかにも怪しい。床には爪の引っ掻いた跡が残っている。形式的に呼ばれた医者は、毒の跡を消すために用いられた酢の臭いにも気づかずに、犠牲者に対して卒中の診断を下したけれども、それだけでは夫妻に対する容疑はとても晴れなかった。

トゥルネ裁判所の要請によって、何回もいろいろな毒物実験を重ねた末に、ついにタバコからアルカロイドを遊離させる方法を発見したのは、ボカルメの家で主人とともに毒物を扱うことに慣れていた、一人の頭のいい召使いである。この実験の成功によって、内臓のなかのニコチンの検索は容易になった。

こうしてボカルメの犯罪はあばかれ、彼は死刑に処せられたが、彼の用いた暴力的な手段は、毒殺犯剤の歴史上にユニークな例を残すことになった。毒殺犯というものは奸策や詭計に頼るのが普通である。相手に飛びかかって無理やり飲ませるなどという手段は、[[シェクスピア>シェイクスピア]]の芝居か何かでなければ、なかなか見られたものではない。

それに、ボカルメは何と言っても素人《しろうと》である。ニコチンこそは絶対に誰にも看破されない毒薬にちがいないと、一途に彼は信じこんでしまったのだ。そこが素人の浅はかさ、と言いたいところだが、―しかし、世の中にはずいぶん浅はかな玄人《くろうと》もいるもので、医者の身でありながら、ボカルメと同じように無鉄砲に行動しようとした人物がある。エドム・サミュエル・カスタンという医者がそれで、彼が使ったのはモルヒネであった。

カスタンは八ヶ月足らずのあいだに、モルヒネを用いて友達二人を殺害し、有罪宣告を受けて[[グレエヴ広場>グレーヴ広場]]で処刑された。しかし、毒物学者のあいだでは必ずしも意見が一致していなくて、オルフィラ自身も、犠牲者の胃のなかからアルカロイドを遊離させることは不可能だと言明していたほどである。これは現在では当然とされていることであって、モルヒネは有機体の内部で大部分変化し、もとのままの状態で発見し得る量は一般にきわめてわずかなのである。

#ls2(毒薬の手帖/さまざまな毒殺事件)

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