小式部内侍

橘道貞と和泉式部の間の子。

寛弘六年(1009)頃、母とともに上東門院彰子に仕える。はじめ堀河右大臣頼宗の愛人であったらしいが、その弟二条関白藤原教通の妾となって一子を生む(のちの静円)。また藤原範永との間に女子を生んだ(堀河右大臣家女房。「範永女」として後拾遺集に歌を載せる)。万寿二年(1025)十一月、藤原公成の子(のちの頼忍阿闍梨)を出産後、死亡した(『栄花物語』)。二十八歳くらいか。歌人藤原定頼との親交も知られる。後拾遺集初出。勅撰入集は8首。女房三十六歌仙。「大江山…」の歌が小倉百人一首にとられている。
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