十八世紀のヨーロッパには、山師のように法螺をふいて世人を煙にまいて歩く、神秘不可思議な人物がたくさん現われたが、そのなかでも、次の三人がいちばん有名である。すなわち、第一は、動物磁気催眠療法という治療法を編み出したオーストリアのいんちき医者メスメル、第二は、すでに「妖人奇人館」で御紹介ずみの錬金術師カリオストロ、そして第三が、これからお話しょうとする「不死の人」サン・ジェルマン伯爵である。
 伯爵などと名乗ってはいたが、この男、はたして本名は何か、いつどこで生まれたのか、どういう素姓の人物であるのか、誰も知っている者はなかった。ハンガリア出身だという説もあり、スペインの皇后とユダヤ人とのあいだに生まれた私生児だという噂もあったが、証拠は何もない。ともかく、いつ頃からか、フランス王ルイ十五世の宮廷に出入りするようはなって、ポンパドゥール夫人の絶大な信任を得、次第にその魔術師としての評判を高めていったのである。
 彼の言うところによると、自分は二千年もの昔から生きつづけているが、若返りの霊薬によって、いつまでも若々しく、死のうとしても絶対に死ねないのだ、ということだった。事実、彼はいつも四十歳くらいに見え、髪も黒々として、円満な微笑をロもとにたたえ、身なりも立派で、高価な宝石をいっばい飾りつけていたらしい。ただ、あまり風采のあがらぬ小男だったという。
 おどろくべき該博な知識の所有者で、ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、アラピア語、中国語、ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語をべらべら喋り、ヨーロッパの宮廷の歴史に関しては、知らないことはないという博識ぶりだった。会話も巧みで、人を惹きつける魅力に富み、貴婦人たちにも人気があった。化学や錬金術の知識では、当代に並ぶ者がなく、黄金や不老長寿の薬も自分で作っていたから、使い切れないほどの大金持だった。
 それにまた、サン・ジェルマン伯爵は、あらゆる芸術の方面にも造詣が深かった。クラヴサンとピアノは、当時の大音楽家ラモーが舌をまくほどの腕前だったし、絵の才能も一流だった。画家のラトゥールとヴアン・ローが、彼の絵具の独特な光りの秘密を教えてほしいと、辞を低くして頼んだが、ついに彼は教えてやらなかったそうである。ベラスケスの収集家としても知られていた。
 あの名高い色事師のカザノヴァが、サン・ジェルマン伯爵の知遇を得ようと、彼を晩餐に招待したことがあった。しかし伯爵は「せっかくですが、自分は食事ということを一切やりません。ただ丸薬とカラスムギを食べるだけです」といって、カザノヴアの招待を断わった。たしかに、彼が食事をしているのを見た者は一人もいないのだった。
 伯爵はまた、ダイヤモンドの瑕《きず》を消す方法を知っていたともいわれる。ルイ
十五世がもっていたダイヤモンドの小さな瑕を消してやって、大いに喜ばれたという話も伝わっている。むろん、彼以外には、こんなふしぎな技術を行使した人の話は、あとにも先にも聞いたことがないのである。
 伯爵に「死ねない男」という渾名をつけたのは、プロシアのフリードリヒ大王だった。なにしろ二千年前から生きているので、彼は聖書に出てくるシバの女王とも親しく談笑したことがあり、キリストが水を酒に変える奇蹟を行った、カナの結婚の場面にも立ち会ったし、あのネブカドネザル王の築いた壮麗なバビロンの都にも、しばしば旅行したということだった。こんな突拍子もない話をしては、ヴェルサイュ宮廷の貴族や貴婦人たちを彼は煙にまいていたのである。
 あるとき、伯爵が集会の席で、ローマのシーザーの時代の話を、まるで見てきたように得々として語っているので、物好きな男が、伯爵の召使に、「お前の主人の言っていることは本当かね」と訊いてみたことがあった。すると召使は、「お許しくださいませ、みなさん。私めは伯爵さまにお仕えするようになりましてから、まだ三百年にしかならないのでございます」と答えた。一主人も主人なら、召使も召使である。
 似たようなエピソードで、こんな話も残っている。一ある疑い深い男が、伯爵の執事に、「お前の主人は嘘つきだね」と言ったのである。すると執事は、平然たる顔つきで、「その点につきましては、私の方がよく存じております。伯爵さまは誰にでも、自分は四千年も生きている、と仰言います。ところで私は、伯爵さまにお仕えするようになってから、まだほんの百年にしかなりません。そして私がこの家にまいりましたとき、たしか伯爵さまは、自分は三千年生きている、と仰言ったはずなのです。ですから、伯爵さまは勘違いして九百年余計に数えていらっしやるのか、それとも嘘をついていらっしやるのか、さあ、その辺のところは私にも分りかねますな」と答えたというのだ。
 フランス王ルイ十五世は、お気に入りのサン・ジェルマン伯爵に、シャンボールの城に住むことを許し、のちには、王の私室に自由に出入りする特権をもあたえた。これは破格の待遇であり、得体の知れぬ外国人の伯爵は、まるで大貴族のように、フランスで悠々たる生活を送っていた。 こんなことから、伯爵は何か外交上の秘密の使命をおびて、中央ヨーロッパからフランス宮廷に送りこまれた密使ではなかろうか、という噂が生まれた。
たしかに、彼が当時の秘密結社、薔薇十字団に属していたということは、紛れもない事実のようである。薔薇十字団といえは、宗教的理想のもとに、全ヨーロッパを一つに統合する、一種の世界連邦達成の目的をもって、ひそかに各国の宮廷に密使を送っていた、当時の革新的な秘密団体である。プロシアのフリードリヒ大王も、この団体に好意的であり、サン・ジェルマン伯爵に莫大な助成金を出して、フランスにおける彼の活動を支援していたのではないか、といわれている。


 伯爵はよくフランスから東方へ旅行をしていたが、たぶん、それはフリードリヒ大王のいるベルリンへ報告に行くためか、あるいは薔薇十字団の本部のあるウィーンヘ連絡をとりに行くためだったにちがいない。
 ルイ十五世は、ある問題についてだけは、大臣と相談せずに勝手に物事を処理してしまう習慣で、外務大臣のショワズールは、国王のこんなやり方を、つねづね苦々しく思っていた。国王が錬金術の実験に熱中しはじめ、そればかりか、誰にも立ち入りを許さぬ実験室で、しばしばサン・ジェルマン伯爵と水入らずで、何事かを相談しているらしいことを聞き知ると、ショワズールは、伯爵の行動に疑念をいだくようになった。
 そのうち、伯爵が突如としてオランダに現われたというニュースがはいった。彼はオランダ政府を通じて、イギリスとフランスとの和平を交渉していたのである。フランスの外務大臣が何にも知らないうちに、サン・ジェルマン伯爵が勝手に秘密の和平交渉をやっていたのである。国王の指令があったのか、それとも自分一人の考えでやっていたのか、それは分らない。しかしショワズールは大いに憤慨して、ただちに伯爵を逮捕させようとした。ところが国王の援助の手がのびて、彼は逮捕を免れてしまった。 −考えてみれば、おかしな話もあればあるものである。国王と外務大臣とが、まったく反対の目的で、反対の命令を出していたのだから。
 その後、サン・ジェルマン伯爵はルイ十五世のスパイとなって、ドイツやロシアに赴いたと伝えられる。彼がロシアに着くとまもなく、ロシア皇帝は今までの親フランス政策を変え、プロシアと同盟を結ぶにいたった。プロシアとフランスとは、もともと利害の相反する国家同士である。いったい、フランス国王ともプロシア国王とも親しくしていたサン・ジェルマン伯爵は、本当のところ、何をもくろんでいたのだろうか。
 どうやら薔薇十字団の理想達成のために、彼は局外者から見れば謎のような、複雑な行動をしていたようだ。フランスを去る前に、ある謎の犯罪事件について、彼はルイ十五世から質問されたことがあった。この犯罪事件の真相は、伯爵だけが知っているという、もっばらの噂だったからである。そのとき、伯爵はこう答えた、「陛下が薔薇十字団に加わってくださいますならば、すっかりお話いたしましょう」と。
 それでもルイ十五世は、薔薇十字団員になることを承知しなかった。もしこのとき、フランス国王がサン・ジェルマンの提案を受諾していたら、革命によつて、ブルボン王家が転覆することも、あるいは避けられたかもしれないのである。薔薇十字団は、決して革命を望んでいたわけではなく、ただローマ法王に対抗して、ドイツの宗教的指導権を確立し、諸王家をして平和的に共存させようともくろんでいただけなのである。
 ルイ十六世に対しても、伯爵は、たびたび熱心に薔薇十字団加入をすすめたが、ついに受け入れられず、身の危険を感じてドイツヘ逃がれ、錬金術愛好家のヘッセン・カッセル伯爵邸に落着き、ついにそこで死んだと伝えられる。


 しかし、彼は「不死の人」である。死んだと思われていたにもかかわらず、ふたたび彼の姿を見たという例がたくさん報告されている。一七九〇年、ギロチンが貴族の首を次々に斬り落していた頃、革命広場で彼の姿を見かけたという噂もあれば、一八二血年、ナポレオンが没落する頃、彼に会ったという人の話も伝わっている。
 フランス革命の成行も、彼にはちゃんと分っていたらしい。バスティーユの陥落後、彼はマリー・アントワネットに、次のような手紙を書いている。「力をつくして対抗しなければなりません。もはや策略などを弄している時期ではないのです。もう貴女が愛してもいない民衆と手を結ぷことなどはやめて、叛逆者たちに口実をあたえないようにすべきです。ポリニャックやその同類を見捨てなさい。彼らはすべて死ぬ運命です。バスティーユの役人を殺した暴徒の手にかかって、いずれは殺される運命なのです」
 サン・ジェルマン伯爵が姿を消す前に、最後に二人の友人に語ったという言葉は、謎のような不思議な言葉である。
 「私は君たちと別れなけれはならない。たぶん、もう一度会えるだろう。まずコンスタンティノーブルへ行くのだ。私を必要としている人たちのためにね。それから英国へ行って、次の世紀のために、二つの発明の準備をしなければならない。汽車と汽船だ。季節は少しずつ変るだろう。まず春がきて、それから夏だ。私にはそれが分っている。天文学者も気象学者も、何も解ってやしないのだ。私の言うことを信じたまえ。私のように、ピラミッドを研究する必要があるのだよ。今世紀の終り頃、私はヨーロッパを去って、ヒマラヤ地方へ出かけるつもりだ。少し休みたいのでね。八十五年後の今日、もう一度私に会えるはずだ。では君たち、さようなら……」
 こうして彼が最後の言葉を語り終えると、突如、一天にわかに掻き曇って、轟然たる雷雨が起った。二人の友人がびっくりして顔を見合わせていると、ふいに伯爵の姿は見えなくなってしまった、ということである。


#ls2(妖人奇人館/不死の人サン・ジェルマン)



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