こんな毒薬は、よほどの金持ちででもなければ、おいそれと使うわけにはいかない。が、そのほかにも、二十世紀の巧妙な毒殺犯の用いる毒薬には、たくさんの種類があるのである。

たとえば殺虫剤、シアン化物、病原体(ヴィールス)、それに医薬品などである。いずれもきわめて現代的な毒薬だ。が、これらについてはまだ論及する機会がなかったとはいえ、かなり以前から知られていたことも事実なのだ。

毒物学の領域には、年とともに新らしい毒薬が加わるが、毒物学者たちの驚きは、それらが地球上の各地のさまざまな未開人種のあいだで、きわめて古くから使われていたということであろう。そのような古くて新らしい毒薬のひとつに、たとえば矢毒というものがある。

弓矢、吹矢を唯一の武器とする未開人は、鉄砲や大砲の代りに矢毒を利用する。矢毒には、東インドの土人の用いるストリキニーネ、西ヨーロッパに住んでいた昔のガリア人の用いるヘリボー(ヴェラトリンを主成分とする毒草)などが知られているが、殊に有名なのは、アメリカ・インディアンの用いるクラーレである。

しかし、矢毒に関する知識は、文明人にはなかなか手に入れがたい。原始民族の共同体をおおっている神秘と秘密主義の厚いヴェールを引きはがすのには、非常な困難が伴うからだ。おそらく現在でも、アフリカ、東南アジア、南米に棲む土人たちは、狩猟や闘争用として、毒液を塗った弓矢、吹矢を使用しているはずである。

矢毒の採取方法は、酋長、あるいは一部の魔術師のみが知っていて、これを子孫に伝える時以外は、決して口外しない。ある種族のあいだでは、矢毒の作り方はタブーとさえなっている。

数ある矢毒中、とくにわたしたちの興味を惹くのは、前に述べたように、南米土人の使うクラーレであるが、これはウォルタア・ローリ卿が十六世紀の末に、ヨーロッパに持ち帰ったという曰くつきのものである。未開人は一種の神明裁判にこの毒を用い、罪人を裁いていた。

探検家として名高く、ゲーテやシラーと親交のあったドイツの自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルトは、知らずに壺の中から流れ出たクラーレが、虫に刺された創から侵入したために中毒しているし、同伴した一人も、指の創から知らぬ間にクラーレが侵入したため卒倒している。こんな風に、昔からよく蛮地の探検家たちのあいだに、恐慌を捲き起すことで有名であった。(このあたりの記述は、伊沢凡人著『毒』による。)

しかもクラーレが体内に侵入するときは、少しの苦痛も感じない。筋肉内の運動神経末梢を麻痺させるからである。クラーレを用いると、目立った現象を伴なわずに動物は横たわり、呼吸困難を来たして動けなくなり、ついに死んでしまう。しかし面白いことに、クラーレは内服した場合には中毒しない。だから、この毒で斃れた動物は苦痛も少ないし、その肉を食べても、一向に平気である。

最近では、スパイとしてソヴィエトに捕らえられ、アメリカに送還されたU2型機事件のパワーズ飛行士が、このクラーレと注射器を所持していたというので話題になった。スパイが自殺用に毒薬を所持することは、昔からその例を多く見るが、クラーレを携行していたというのは、大変にめずらしい。

ただし、クラーレを注射しても、人間は動けなくなるのみで、ほとんど死にはしない。筋の中の濃度、より正確には、筋の中と筋肉中との毒の濃度の関係によって、麻痺の現象が起るので、血液中に毒が入らなければ、なかなか死ぬことはないのである。(だからディクスン・カーの『赤後家殺人事件』では、血液に混入させる必要から、歯の出血を利用しているわけである。)

クロオド・ベルナアルはクラーレの作用機序を研究し、クラーレを作用させた筋は、神経を通して刺戟すると反応するので、筋が直接には興奮性を有することを証明した。これは、生理学の問題が毒を用いて解決された最初の例である。

クラーレの採れる植物は、ストリキニーネと同じ馬銭《マチン》科に属する纏繞植物で、毒はその皮部と木部にふくまれている。ギアナ、ブラジル、ペルー、アマゾン流域などに棲む土民はこの植物の怖ろしさをよく承知している。

面白いのは、土人がこの毒のエキスを調整する時で、それにはお祭のような儀式を伴なうと言われる。「毒男」という役目の者が、仕事にあたる人々を指図する。鍋の中が次第にぐつぐつ煮えてくると、有毒のガスが立ちのぼるので、みな周囲から遠く離れるが、誰か一人は側に残っていなければならない。その役には老婆があたり、種族の犠牲となって死ぬのである。エキスが煮つまった頃、みなが鍋のまわりに集まってみると、すでに老婆は冷たくなっている。…

#ls2(毒薬の手帖/集団殺戮の時代)

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