僧院には、番人のほかに定まった使用人がひとりもいなくて、会合のたびに、腕のいい料理人や給仕を町からやとってきた。一日の勤めがおわると、金をはらって彼らを帰し、翌日には別の人間をやとい、二度と同じ人間を使わなかった。
 また会合のときには、ロンドンの娼家から馬車で女を連れてきた。馬車の窓は厳重にふさがれていた。ダッシュウッドは常日ごろ、娼家のお内儀と親しくしていたので、便宜をはかってもらえたのである。のちには噂が流れるのを防ぐために、ロンドンでなく、地方の娼家から女を狩りあつめた。メドメナムの僧院では、この娼婦たちは「修道女」と呼ばれ、小さな銀のブローチを胸に飾っていた。ブローチには、「愛と友情」という文句が刻まれていた。――エロ遊びもここまで凝り出すと、なかなかどうして、心憎いものがあり、シャッポを脱がざるを得ないだろう。
 この修道女のなかには、会員が連れてきた上流婦人や貴族の娘もおり、そういう場合には、彼女たちはマスクで顔をかくしていた。ひょっとして知人にぶっかったりしたら大へんだからである。医者や、外科医や、産婆も参加していて、もし修道女たちが熱心にお勤め(?)にはげんだ結果、不幸にして妊娠したりすると、首尾よく流産するまで僧院に滞在することを許された。まことに至れりつくせりである。
 「司祭」の役目はまわり持ちで、メンバーが交代でこれに当った。司祭にほ特権があり、自分の気に入った女を最初にえらぶことができるのである。そのかわり、僧院内の設備をととのえたり、使用人を監督したりしなければならないという義務もあった。しかし「大司祭」の地位は一定していて、いつも院長のダッシュウッドがこれに当った。新入会員のために、礼拝堂で入社式を執行したり、あやしげな聖体拝受を授けたり、悪魔に犠牲をささげたり、黒ミサの式を行ったりするのが、大司祭の役目であった。
 こうしてお勤めがすむと、やがて会員たちは修道女をはべらせて酒を飲み、どんちゃん騒ぎの宴会をはじめる。男女入り乱れての、いわゆる大饗宴《オーギー》(この言葉には、もちろん性的な乱行の意味もふくまれる)というやつだ。まあ、いってみれば、現代のヒッピー族のワイルド・パーティ、乱交パーティーと似たようなものだろう。
 このような乱交パーティーは、しかし昔から存在していたもので、ローマ皇帝やボルジア家の暴君がふけっていた集団的な性の享楽も、それに近いといえるだろう。十八世紀ほサド侯爵やカザノヴアの時代だから、海をへだてた英国でも、それに近いことが行われていたとしても、ふしぎはないわけである。


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Last-modified: Sat, 07 May 2005 00:29:02 JST (4736d)