フランスへ帰ると、デオンはまさにスター並みだった。街を歩けば、物見高い連中がわっと集まり、彼を諷した卑猥な小唄が、ロからロヘ伝えられた。半ば男で半ば女の、漫画みたいな肖像画も描かれた。彼の一代記は尾鰭《おひれ》がついて、ふくれあがった。物笑いの種ではあったが、同時に、みんなが彼の友達になりたがった。文壇の長老ヴォルテールも、死ぬ直前、自宅へ彼を招いた。彼の性《セックス》の神秘をめぐって、相変らず賭けが行われ、当局は、この馬鹿げた賭けを「風俗壊乱罪」という名目で禁止しなければならないほどだった。
 デオンがフェンシングの名手であったことは、前にも述べたが、宮廷の集まりでフェンシングが話題になると、彼はぱっとスカートをまくって、構えの姿勢をして見せるのだった。スカートの下にはズボンをはいていた。女たちは逃げ出し、ルイ十五世はげらげら笑ったという。
 彼が一七八七年、ロンドンのカールトン・ハウスで、当時の有名な剣士サン・ジョルジュを相手に行った試合は有名である。デオンはそのとき六十歳近く、長いスカートに足がからまって苦戦したが、見事に若い相手を打ち負かし、やんやの喝采を浴びた。しかし一七九六年の試合では、左の胸に敵の突きを受け、乳のあたりが炎症ではれあがった。彼が女のような乳をしている、という噂が立ったのは、このためであろう。革命が起ると、老いても血の気の多い彼は、共和派の軍隊に参加することを希望したが、むろん許されなかった。
 結局、フェンシングの傷がもとで、彼は一八一〇年、ロンドンの裏町の陋屋で死んだ。享年八十三歳。遺体は解剖され、立ち会った医者の証明書によって、彼が正常な男子であることが明らかにされた。しかし別の医者の意見によると、彼の肉体は異常に丸味をおび、髯はほとんどなく、胸はどう見ても男の胸ではなく、手脚にも毛が生えていなかったそうである。


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Last-modified: Thu, 15 Dec 2005 18:01:41 JST (4628d)