シャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・ド・ボーモンは、一七二八年、ブルゴーニュ地方のトネールという町で生まれた。えらく長ったらしい名前だが、これが後の騎士デオンである。一説によると、彼は正真正銘の女として生まれたが、死んだ叔父の遺産を相続させたいばっかりに、両親が無理やり赤んぼうを男として育ててしまったという。そんな具合に、デオンは大へんな美少年であったらしい。
 長ずるに及び、パリの社交界に進出し、文学者や詩人たちと交際し、自分でも作品を書いた。のちに彼自身の残した回想録によると、この頃、彼はロシュフォール伯爵夫人という女と親しくしていたが、彼女は、自分の衣裳箪笥の中から選んだ豪華な服をデオンに着せて、宮廷の舞踏会に連れて行くのを楽しみにしていたという。デオンも、こうして自分がすっかり女になり切り、社交界の紳士淑女の注目の的になることに、ぞくぞくするような、えも言えぬ快感を味わっていた。
 歌劇『フィガロの結婚』のケルビーノのような、この女装した美少年の艶姿《あですがた》に、フランス国王ルイ十五世がぞっこん惚れてしまい、彼を寝室に誘いこんだというような噂もあるが、これはどうやら嘘らしい。国王のまわりには、ポンパドゥール夫人の目が光っていて、まず浮気なんか出来っこない状態だったからである。しかし、ルイ十五世が彼に目をつけたというのほ、事実である。国王は、この女装の天才を利用して、ある外交上の秘密の任務に当らせようと考えたのである。
 当時のヨーロッパの情勢は混沌としていて、ブルボン王朝は、複雑な問題をかかえこんでいた。どこの国の宮廷にも、スパイや密使がさかんに暗躍していた時代であった。騎士デオンは一七五五年、二十七歳当時、フランス政府の密使ダグラスとともにロシアに渡ったが、このとき、彼は完全に女装していて、ダグラスの姪のリア・ド・ボーモン嬢と名乗っていた。その頃のロシアでは、ピョートル大帝の娘のエリザべータ女帝が絶対権力をふるっていたが、このボーモン嬢(すなわちデオン)は、たくみに取り入って女帝に近づき、女帝の信任を得、ついに女帝の側近にはべる読書係の役目になったというから、大した凄腕である。
 女装していたればこそ、ひとびとは彼を女だと信じて、油断もしたわけである。じつは、騎士デオンはルイ十五世のスパイで、ロシア政府に関する情報をヴェルサイユ宮殿に送るべく、秘密の任務をおびていたのである。このことは、一部の者を除いては、フランス政府の首脳部すらも知らなかった。デオンは国王に直属した、いわば国王の個人的なスパイだったのであろう。
 彼が二度目にロシアに渡った時には、べつに女装したりせず、普通の男のすがたであった。今度はダグラスも公使という資格であり、デオンも公使秘書という正式の資格で、この前の旅行の際にダグラスが同伴した姪のボーモン嬢は、自分の妹ということにしておいた。しかしモスコウのひとびとは、この兄がボーモン嬢とあまりに瓜二つなので、びっくり仰天したそうである。それも当然であったろう。なにしろ同一人物なのだから。


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Last-modified: Wed, 09 Apr 2008 01:53:19 JST (3782d)