当節では、殺し屋のダンディズムといえば、ダーク・スーツに黒眼鏡、絹マフラーに白手袋と相場がきまっているようであるが、十九世紀初頭のロマンチック時代には、いささか様子がちがっていた。軍隊脱走、手形偽造、強盗、殺人など数々の犯罪を犯し、ついに描えられて断頭台にかけられた泥棒詩人、ピエール・フランソワ・ラスネールもまた、大へんな当時のダンディであったが、ただ彼の気に入りの服装は、シルクハットにフロックコート、それに襲飾りのある袖口から出た織細な手には、つねに象牙の握りのついた黒檀のステッキを握っていたというから、こちらは、いかにもロマンチック時代にふさわしいダンディぶりではある。
 映画『天井桟敷の人々』をごらんになった方は、パリの浅草のようなごみごみした場末の歓楽街に、代書星の看板を掲げた不敵な殺し星、死んだ名優マルセル・エラン扮するところの、ラスネールなる人物が出てきたことを思い出されるであろう。これは、実在の詩人ラスネールをモデルにしたもので、メロドラマの筋を別にすれは、かなり忠実な実在人物の再現となっている。
 一口にダンディズムの悪魔派詩人といっても、たとえばボードレールのような青白いインテリは、殺人はおろか、ろくに女遊びもできないような気弱な人間にすぎなかったが、このラスネールは、敢然として下層社会に身を落し、悪の道をまっすぐ突っ走り、裁判所で社会と道徳を愚弄して、笑って死んでいった剛毅な男である。わたしがこの男に惚れこんでいるとしても、無理はなかろう。


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Last-modified: Thu, 20 Mar 2008 18:20:53 JST (3800d)