カトリイヌのために毒薬を提供していた悪辣な香料商人は、それまでに泥棒や殺人の罪を幾つとなく犯してきた、ルネ・ビアンコという奇怪な男で、サン・ミシェル橋の上に店を構え、聖バルテルミイ大虐殺のときに一挙に有名になった。手袋や胸飾りに毒を滲みこませる方法は、彼がフランスの宮廷に持ちこんだのである。

後のアンリ四世の母でナヴァル王妃のジャンヌ・ダルブレも、やはりルネ・ビアンコの毒薬を滲みこませた手袋を、カトリイヌから贈られたのであろうか。彼女は息子のアンリ マルグリット・ド・フランスカトリイヌの娘で、後に女王マルゴの名でしられるようになった淫蕩な王妃)の結婚式に参列するために、パリにやって来たが、王母に恨みをいだくユグノー派の連中は、毒殺にちがいないと王母を非難した。

王母は最愛の息子たる三男(後のアンリ三世)に権力の座を確保するために、フランソワ二世の後を継いだ次男のシャルル九世の殺害を計画していたとも伝えられる。

ブラントオムによると、シャルル九世は「人間を長いこと憔悴させ、やがて蝋燭の消えるように絶命させてしまう」海ウサギプリニウス以来信じられていた想像上の水棲動物)の角の粉末を、母の手から飲まされたのだそうである。

こうして彼が死ぬと、母の命によってポオランドに送られていた末子のアンリ三世は、ただちに呼び返されて王の座についた。

先に九歳で即位したシャルル九世は、やはり、ヴァロワ家の人間らしく虚弱で、性格も遊惰であったが、気違いじみた乱行にふけり、早くも早老と結核の徴候をあらわしていた。

王母はたぶん、この息子の無軌道な放蕩が王国を破滅にみちびくことを憂えたのであろう。おまけにシャルル九世は、聖バルテルミイの日以来、夜ごと悪夢に悩まされるノイローゼにおち入り、それを忘れるためにも、身をすり減らして快楽に没頭するようになっていた。毒殺の疑いを抱かせる有力な証拠は、しばらく前から彼の顔に奇妙な斑点が生じたこと、それから、彼が血の混じった寝汗をかくようになったことであった。一五七四年、彼は王母の腕に抱かれたまま、二十四歳を一期として死んだ。

しかし、その前にもすでにシャルル九世の毒殺未遂事件は企まれていたのであった。悪魔礼拝にふけっていた廷臣ラ・モオルと、アニバル・ド・ココナスという二人の者が、シャルル九世なきあと、アランソン公を王座に押しあげる陰謀をめぐらしていたのが、突然発覚したのである。裁判によると、陰謀家どもは例の呪術師コシモ・ルジエリを味方に引っぱりこみ、彼に蝋[#旧字]人形をつくらせて、その心臓に針でぶすぶす孔をあける呪いの方法を行使することによって、シャルル九世の死を促進させようとしていたことが明らかになった。まるで中世に逆もどりしたような奇怪な話である。

ラ・モオルおよびココナスはただちに王の命により首を刎ねられたが、呪術師ルジエリは以前から王母カトリイヌのお気に入りだったので、シャルル九世も母に対して遠慮したのであろうか、彼に対しては死罪一等を恕して漕役刑を科するのみで満足した。後にルジエリは王母に刑を免除してもらい、シャルル九世なきあとの宮廷にふたたび返り咲いたと言われる。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:04