ギリシア・ラテンの文学には動物変身譚がよくあるが、ホメロスの『オデュセイア』に出てくる妖女キルケーなんかも、一種の毒薬使いだと言えないことはない。キルケーの館のまわりには、魔薬によって狼や獅子に変えられた彼女の恋人たちがうろついている。(このあたり、鏡花の『高野聖』にちょっと似ている。)オデュセイウスの仲間も、魔薬を加えた酒を飲まされて豚になってしまう。

ところが、学問の神ヘルメスが美しい若者のすがたとなってあらわれて、妖女に対する手だてをオデュセウスに教え、「黒い根に白い乳色の花をつける《モーリュ》という魔除けの薬草」を地面から抜いてくれる。いったい、この《モーリュ》とは、いかなる種類の植物か。キンポウゲ属の植物で気違いの特効薬と信じられていたヘリボリ草か。それとも、抜くときに人間の声を発するというマンドラゴラか。あるいは、イアソンが金羊毛の守護神であるコルキスの龍を眠らせるのに用いた薬草ネペンテス(うつぼかずら)と同じものだろうか?…

ともあれ、ギリシア人が伝説ばかりでなく、現実にいろんな種類の毒薬や魔薬を知っていたにちがいないことは、エウリピデスの『メデイア』やソポクレスの『トラキスの女たち』のような、凄惨な毒死をあつかった悲劇によっても知ることができる。

実際、当時、あやしげな医者や薬物の横行は目にあまるものがあったのであろう、有名なヒポクラテスの『宣誓文』は、次のごとく警告をしている。

「死にいたる毒薬は何ぴとにも与えざるのみか、かかる薬を用うべきことを勧めはすまじ。いかなる女にまれ堕胎用の座薬は与えまじ」と。

享楽的なギリシア人は、しかし阿片も知っていたらしい。紀元前二世紀の文法家ニカンドロスの著作に、『テリアカ』(毒獣、毒蛇の咬傷の治療法)および『アレクシパルマカ』(解毒法)という、二つの毒物に関する詩編があるが、そのなかで彼は、次のように書いている。

「ケシの果汁の混った飲物を飲む者は、ふかい睡りにおちる。手脚は冷たくなり、眼はすわり、多量の汗が全身にあふれる。顔は蒼ざめ、唇はふくれ、下顎の靭帯はゆるみ、爪は色を失う。くぼんだ眼はまるで死に行くひとのようだ。けれども、この有様を気にするには当たらない。酒と蜂蜜を調合したなまぬるい飲物を病人にあたえ、その身体をはげしく揺すぶってやれば、病人はたちまち毒物を吐いてしまう」と。

ギリシア人はまた、毒ニンジンの効果をも知っていた。これは痙攣性と麻痺性が両方あって、死に方がおだやかなものだから、もっぱら自殺用、死刑用に供される。アテネの雄弁家デモステネスが用いたのも、ソクラテスが獄卒から渡されたのも、同じくこの毒ニンジンの杯だったにちがいない。毒ニンジンは沼辺におびただしく生じ、すりつぶすのが容易だから、市当局は死刑用としていたのである。

哲学者の最期の瞬間を、プラトンの筆によってお伝えしよう。

ソクラテスはあちこち歩きまわっていましたが、やがて脚が重たくなったと言って、仰向けにからだを横たえました。それとともに、毒を手渡した男は、あの方のからだにさわってみて、やや時をおいてから、脚の下から上の方をしらべていましたが、そのあとで足をつよく圧して、感覚があるかどうかをたずねました。ない、とあの方は答えました。次にまた向こう脛について同じことをしらべ、そのようにしてだんだんと上に移って行きながら、次第に冷たく硬くなりつつあることを私たちに示しました。そして、もう一度さわってみてから、これが心臓まできたらこの世を去るのだと教えました。」(『パイドン』藤沢令夫氏訳)

毒ニンジンの人体におよぼす緩慢な効果をこれ以上正確に、ドラマティックに描き出すことが可能であろうか。

プラトンの物語によれば、ソクラテスには肉体的苦痛はほとんどなかったようである。最後にクリトンに話しかけ、クリトンが返事をすると、もうそのときには、ソクラテスの答えはなく、「すこしあとで、からだがぴくりと動き、係りの男が覆いを除けてみると、その眼は固くじっとすわっている」ばかりであった。

最後に、ギリシア人がある種の動物の腐った血を毒薬として用いていたことを述べておこう。

プルタルコスの言を信ずれば、サラミスの戦の勝利者テミストクレスは、牛の血を飲んで自殺したという。しかし、有機体のなかのアルカロイドが腐敗によってプトマイン(屍毒)を形成するという、後年の化学上の発見を考え合わせれば、これらのギリシアの英雄たちの最期も、あながち伝説だとばかりは言い切れまい。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:10