世界悪女物語」と銘うった以上、ヨーロッパの悪女ばかりではなく、東洋の悪女をも登場させなければいけないと考えて、筆者は、いろいろな候補者を頭の中にならべてみたのであるが、どうも日本には、適当な代表選手が見つからないようだ。

たとえば日本にも、北条時政の後室であった牧の方日野富子をはじめ、毒婦として有名な鬼神《きしん》のお松高橋お伝雷《かみなり》お新、生首《なまくび》お仙、妲妃のお百などといった犯罪者の系列があることはある。しかし、それらがいずれも小粒で、スケールの大きさに欠ける憾みがあることは一旦瞭然であろう。少なくとも「悪女物語」に名前をつらねるには、男性を顎でつかい、一国の運命を左右するほどの輝かしい悪事を積み重ねた、堂々たる女傑でなければならないはずである。

そこで、目を中国に向けてみると、ただちに思い浮かぶのが、いわゆる「支那の三女傑」と称せられている女丈夫たちだ。すなわち、の高祖の妃呂后《りょこう》、高宗の妃則天武后《そくてんぶこう》、清の文宗の妃西太后《せいたいこう》の三人である。揃いも揃ってスケールの大きな悪女である。さて、だれを選ぶべきか。

この三人は、ともに絶大な権力をもった独裁者であり、―なかんずく呂后のごときは、自分の目の前で忠臣韓信《かんしん》をはじめ、その他の家来を殺害して悦に入ったり、また夫の死後、その愛妾であった戚《せき》夫人の手足を断ち、眼をえぐり、耳を薫《くす》べ、?薬《いんやく》を呑ませて厠のなかに押しこめたというほどの残忍な女でもある。

けれども、則天武后のなしとげた大事業と大量殺戮にくらべれば、呂后の残忍も、西太后の政治的手腕も、影が薄くなるのは否めない。第一、武后には、無学な百姓女にすぎぬ呂后など足もとにも及ばぬ、衆にすぐれた知力があった。まことに則天武后こそ、女だてらに、古代ローマネロカリグラにも比較されうる、いな、むしろそれ以上ともいうべき空前絶後の知力すぐれた大独裁者、大犯罪者であった。

武后の詳細な伝記を書いた中国の林語堂氏によると、「武后は女性として異例であった。彼女と比較できる他の有名な女性というと、ちょっと見当らない。クレオパトラでもない、エカテリーナ太后でもない。エリザベス一世女王の一部とカトリーヌ・ド・メディチの一部、つまり、前者の力と後者の残忍性が結びついたもの」ということになる。

彼女の性格には、たしかに、犯罪行為と高度の知能が結びついた異常なものがあった。誇大妄想狂に近い、気ちがいじみた野望の持主だったが、そのやり口は冷静で、正確で、まったく正気であった。しかも、ヨーロッパや日本の犯罪者に特有な、あの繊細の精神を土足で踏みにじってしまうような、大陸民族的な豪放さと野放図さとが見られた。これはじつに異例のことである。歴史家が戸惑いするのも無理はない。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:05:02