トゥールの司教グレゴリウスによって六世紀の末に書かれた史書『フランク人の歴史
には、そのころヨーロッパに覇権を争っていたメロヴィング朝の王室の、骨肉相食む血な
まぐさい戦いの模様が克明に描かれていて、一読、肌に粟を生ずるばかりの凄惨さである。

そして、この激しい争いの主役は、アウストラシアシジュベールの妃ブリュヌオーと、
ネウストリアシルペリクの妃フレデゴンドという二人の女性であった。

六世紀後半のヨーロッパは、中世といっても、まだキリスト教がようやく根を下ろしはじめたころで、各地に修道院がぼつぼつ立ってはいたが、メロヴィング王家を中心とするゲルマンの社会は、野蛮で、混乱をきわめていた。死んだ王の息子たちのあいだで王国を分割するという習慣は、兄弟同士の果てしれぬ殺し合や、王妃や嬖妾《へいしょう》の陰謀などという醜い争いをたえずひき起した。王たちは好色で、宮廷はさながら淫売窟のような乱脈ぶりだった。

ネウストリア(現在のフランス北部)の王シルペリクは、典型的なフランク族の武人で、王の権力の象徴である金色の長髪を風になびかせては、いつも馬を飛ばして戦場を駆けまわっていた。王妃に使える大勢の侍女たちのなかに、フレデゴンドという挑発的な美女がいて、早くから王は彼女に目をつけていたらしい。フレデゴンドは大きな青い目と、赤みがかった燃えるような金髪と、完全に成熟した女の肉体をした娘で、身分の低い婢女ではあったが、その傲慢な顔つきには、いつか王妃の地位を得たいという満々たる野心が読みとれた。

五六五年六月、たまたま王がザクセン人と戦うため出陣している留守のあいだに、王妃オードヴェールが娘を生んだ。王の妹が代母になってくれる予定だったが、急に病気で倒れたので、代りの代母が見つからず、王妃が困っていると、フレデゴンドが進み出て、「王妃さま」といった、「宮廷には、王妃さま以上に身分の高いお方はいらっしゃいません。つまり、あなた御自身が代母になればよろしいのでございますよ…」

愚かな王妃は、なるほどと思って、子供を抱いて教会へ行ったが、じつはフレデゴンドの忠言には、巧妙な罠がかくされていたのである。中世カトリックの規則では、ある子供の代父あるいは代母になると、その者は子供の両親の兄弟あるいは姉妹にひとしい関係になるので、当然のことながら、男親は代母とは結婚できなくなるのである。―頭の単純な王妃をまんまと瞞して、フレデゴンドはほくそ笑んだ。

やがて王は戦争から帰ってきて、事実を知ると、さっそく王妃を追い出してしまった。オードヴェールは泣く泣くソワソンの宮廷を去り、生まれたばかりの娘とともに、マンスの修道院に押しこめられる身となった。王妃の温もりのまだ残っている寝室で、破廉恥にもフレデゴンドは勝利の快感を味わった。そのまま、彼女は王シルペリクの愛妾になってしまったのである。


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Last-modified: Sat, 26 Feb 2005 13:05:11 JST (4985d)