彼女の感情生活は、ごく幼いころから緊張と恐怖の連続だった。二歳八ヶ月のとき、彼女の父(ヘンリー八世)は母(アン・ブーリン)の首を刎ねた。父の政策が変るたびに、幼い彼女の運命も刻々と変っていった。父が死んでからは、十五歳のとき、色事師の海軍卿に結婚を申し込まれ、おまけに、彼の謀反の罪にあやうく連座するところだった。―少女時代に受けた深刻な心理的打撃が、恋愛の決定的行為、肉の交りに対する潜在的な嫌悪の情を生み、強いてその行為を遂行しようとすれば、ヒステリー性の痙攣を惹き起こすということは、精神医学上よく知られている。

ともあれ、女王は自分の処女性を大そう自慢していた。恋人たちの告白を聴くことは、年をとるにつれてますます好きになった。

政治や外交上の取りきめにはあれほど慎重かつ明敏であった彼女も、私的な感情生活ではかなり気まぐれなところがあった。クリスタル・ゲージング(水晶凝視)で評判をとったジョン・デイのごとき学者を宮中に招き、自分の星位を占わせたことからも、彼女の魔術迷信に対する惑溺ぶりは想像される。

エリザベスの虚栄心はほとんど伝説のようになっているが、これも彼女の法外な権勢欲のあらわれと考えられなくはない。メアリ・スチュアートの使臣がイングランド宮廷に乗りこんできたとき、うぬぼれ屋のエリザベスが、自分とメアリといずれが美しさにおいて勝っているかと問いつめて、老練な外交官を困らせたという逸話は、彼女の向う気の強い性格をよく示している。ある意味で、彼女は生涯幻想に生きた女であった、ともいえよう。

フランスの特使ド・メッスは、何度も女王に謁見するうちに、つくづくこの女王の才気煥発ぶりに舌をまいた、と日記に書いている。彼が聞いたところによると、女王は拵えた着物を、生きているかぎり一枚だって人にやったり捨てたりしたことがない。衣裳箪笥の中には約三千枚もぶら下がっていたそうである。

あるとき、この大使は、女王の異様な衣裳に度肝をぬかれた。エリザベスが窓のそばに、この上もなく奇怪ないでたちをして立っていたのだ。黒いタフタをイタリア風に裁断したドレスが、広幅の黄金の帯で飾られ、オープンにした袖には、緋色の縁取りがしてあった。ドレスはずっと裾まで前が開いていて、下にもう一つ、白いダマスク絹のドレスを重ねているのが見える。ところが、この白いドレスも、腰まで前襟が開いているので、その下からさらに、白のシュミーズがのぞいて見える。そして驚くべきことに、このシュミーズもまた、開き襟になっているのである。

びっくしりた大使は、目の向けどころに困ってしまった。彼女が物を言いながら頭を反らせるたびに、重ねたドレスの前は大きく開き、お腹が丸見えになってしまう。大使はてっきり、女王が自分を誘惑しようと試みているのだと信じたことだった。…


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:05:15