華やかな自由恋愛のチャンピオン

 数ある平安女流文学者のうちでも、和泉式部は、現代の若い人たちの心に、いちばんアッピールする歌人ではなかったろうか、と思われる。

 たとえば小野小町のような女性は、あまりに伝説的な存在で、その正体もはっきりしないのだから論外であろう。

 紫式部は、頭がよすぎて冷たいような感じがするし、その日記のなかで赤染衛門和泉式部清少納言などを痛烈に批評しているところを見ても、何となく意地悪そうな感じさえする。赤染衛門は良妻賢母型の女で、おとなしすぎて、どうも面白味が少ない。清少納言はさっぱりした、機知のひらめきのある女らしくて、好感はもてるけれども、才気をひけらかしすぎる嫌いがなくもない。

 そこへ行くと、和泉式部は、ひたすら女らしい女で、情熱的で、奔放で、多情で、艶冶《えんや》で、しかも哀愁あり、憂いありで、まことに現代的なムードをただよわせた、華やかな自由恋愛のチャンピオンと称するにふさわしい女性であった。

 式部は大江雅致《まさむね》の娘で、和泉守橘道貞と結婚したので、和泉式部と呼ばれるようになった。この夫は、のちに陸奥守となり、彼女を都に残して、ひとりで任地へ赴くが、彼女と為尊親王との恋愛は、まだ夫が都にいるうちから始まったのである。

 有名な『和泉式部日記』は、彼女自身の作ではないという説もあるが、冷泉天皇の皇子であった、この彼女の愛人の為尊親王が若くして死んでから一年後、四月のある日、彼女が亡き愛人を偲んでいると、親王の弟である敦道親王の使者が、橘の花をもって彼女の家にやってくる、というところから始まっている。つまり、彼女はこんな風にして、二人の若い皇子に次々に愛され、しかも彼女を愛した皇子たちは相ついで死に、彼女だけが取り残されるという、悲劇的な結末を迎えなければならないのだ。


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Last-modified: Wed, 25 Mar 2009 23:02:49 JST (3497d)