ただ、キリストが最後に十字架につけられて殺されたとき、その下に立って歎き悲しんでいる聖母や、死んだ息子を膝の上に抱き上げている聖母の姿は、キリスト教美術の重要なテーマとなっているから、ご存知の方も多かろうと思う。

 キリスト教の美術では、キリストをのぞいては、聖母マリアほど多く、絵画や彫刻のなかに表現されている人物はいない。マリア崇拝は、古代の大地母神崇拝や、中世の騎士道精神に見られる女性崇拝の思想と結びついて、大発展をとげたようである。

 紀元四世紀には、マリアが生涯の終りまで処女であったと主張する、エピファニウスのような神学者も現われた。つまり、ヨセフと結婚し、キリストを生んでから後も、夫婦の営みをしなかった、というわけである。

 しかし、これでは、ヨセフの立場があまりにも気の毒だとは言えないだろうか。夫の立場があまりにも無視され、忘却されているとは言えないだろうか。それとも、ヨセフマリアの肉体には手をふれず、彼女の純潔を大事に保っておいて、どこかで妻以外の女を相手にしていたのだろうか。−もちろん、聖書のなかには、この謎を解くような事実は、何も書かれていない。

 昔も今も、父親の存在というものは、悲しく、はかないものだと私は思う。マリアの栄光のかげに消されてしまった父親ヨセフにしても、例外ではないのである。


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: Wed, 25 Mar 2009 23:05:48 JST (3497d)