しかし匈奴の国へ旅立つ前に、元帝王昭君を呼び寄せて、親しく会ってみると、案に相違して、彼女こそは後宮三千人のなかの第一等の美人であり、しかも礼儀作法や応待ぶりも並はずれて立派であった。そこで元帝は大いに後悔したが、もはや後の祭りである。のちに元帝は、王昭君を醜く描いた怪しからぬ画家を、怒りにまかせて死刑に処したということである。

 また別の伝説では、王昭君は、元帝の寵愛の得られないのを恨んで、すすんで匈奴の王に嫁したのだともいう。さらに別の伝説では、彼女は元帝を深く愛していたので、北方の蛮地に赴いてから、帝に切々たる思いを寄せて歌をつくって、毒を仰いで自殺したのだともいう。
     

  昭君 玉鞍《ぎょくあん》を払い
  馬に上って紅頬《こうきよう》啼《な》く
  今日は漢宮の人
  明朝は胡地《こち》の妾

 これは有名なの詩人、李白王昭君を歌った詩である。王昭君が馬に乗って、美しい顔を涙で曇らせながら、わずかな従者とともに、ゴビの砂漠の彼方の北方の蛮地をめぎして、とぼとぼ旅立ってゆく、あわれな身の上と心境とを歌ったもので、李白の詩のなかでも、とくによく知られたものの一つとなっている。

 日本でも、昔から王昭君の名前は、中国の美人の代名詞として、楊貴妃西施《せいし》のそれとともに、たびたび詩や小説のなかに出てきている。『源氏物語』や『太平記』にも出てくるし、漢詩や俳句にも出てくる。謡曲にも『昭君』というのがある。

 国際外交のかげに泣く、悲劇の女王ナンバーワン、それこそ王昭君にもっともふさわしいタイトルであろう。


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Last-modified: Wed, 25 Mar 2009 23:06:05 JST (3497d)