実在の人物ではあるらしいが、伝えられているのは人物とは別モノのようである。

google:高橋お伝

お伝は上野国(群馬県)で生まれた。生年は嘉永四年(1851年)だとされるが、異説もある。明治九年に、東京府蔵前の旅館で商人の男を殺害したお伝は、明治十二年に市ヶ谷監獄で斬罪に処せられる。お伝の刑を執行したのは、首切り役人であり、美男としても聞こえた首斬り浅右衛門であった。

 お伝は、斬首後、外科の実習を兼ねて全面的に解剖されることになる。執刀者の小山内健は、新劇の先駆者となった小山内薫の父親にあたる人物だ。

 さて、当時の新聞に「獄裡四年、容色衰えず、油ぎったお伝の死体」と書かれた肉体は解体され、その陰部はホルマリン漬け標本にされた。この陰部は、異常性欲者の見本として、東大医学部に保存されることになる。

 昭和七年に、或る軍医がこの標本を測定して、報告書を作っているが、それは大体こんな内容だ。「会陰は広くはなく、クリトリスはやや大きくて半ばまで包皮に覆われているが、下半分は露出している。前庭は大変広く、膣壁は皺が多い。以上の事実により、陰部と小陰唇が並はずれて大きいことは明らかである。これは犯罪を行なうときの有利な武器であると同時に、性的孤独を守ることが出来ない有力な原因でもある」

 ホルマリン漬けの陰部を測定して、何を真面目に書いているのだろうという気もするが、当時はロンブロゾーなどの学説〜人間を肉体的特徴から分析して、生まれつきの犯罪者を見分けようとする、「生来犯罪者説」〜がもてはやされていたので、その影響があったのだろう。

 お伝の陰部のホルマリン漬けは、戦前の学術誌「ドルメン」に写真が掲載されたこともあったが、その号は発禁になっている。しかし第二次世界大戦後に、浅草のデパートで展示公開されたことがあったという。

http://www.h4.dion.ne.jp/~okino/kaikyou/sei-3.htm

 このホルマリン漬けの陰部というのは、フェティッシュアイテムとしてドラコニア標本に必須と思われる。澁澤がこれを見たかどうかは分からないが・・・

#なお、女犯罪者の系譜は日本のマスコミの扇情記事の歴史を見るようで面白い。多分、「作られた毒婦」高橋お伝の締めくくりの「『毒婦・お伝』は、絵草紙や芝居という当時の大衆的メディアが、「商品」としてつくり出した虚像だったのではないでしょうか。」が正鵠を得ているのだろう。

:人物
:行為者


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Last-modified: Sat, 26 Feb 2005 13:05:40 JST (4986d)