トレド、Toledo

スペイン中部地方の都市

西ゴート王国の首都

served as the capital city of Visigothic Spain, beginning with Leovigild, and was the capital until the Moors conquered Iberia in the 8th century. Under the Caliphate of Cordoba, Toledo enjoyed a golden age.-wikipedia.en

【位置と気候・生活】
マドリード南南西約65km、タホ河に臨むスペイン中央部の古都。
秋田県より北に位置しますが、メキシコ暖流のおかげで冬でも太陽が出ると暖かい大陸性気候です。夏は暑く日中は気温が40℃位まで上がりますが、湿度が低く洗濯物もあっという間に乾きます。
 しかし、石造りの建物内はひんやりとしていて、スペインの人々は仕事から戻って家族とともに取った昼食後の一番暑い時間を室内でシエスタ(午睡)をとったり静かにくつろいだ後、また夕方から学校や仕事に出かけていくのです。しかし、都市部では、このシエスタの習慣も薄れつつあります。

【歴史】
 三方をタホ河に囲まれた自然の要塞になっているトレドが歴史に登場するのは紀元前190年頃です。ローマ帝国のイベリア半島征服でトレトゥム(Toletum)と呼ばれたのがその名の起こりと言われています。
 西ローマ帝国の滅亡後、6世紀の半ばには半島の混乱を平定した西ゴート族がトレドを王国の都に定めました。
 589年、トレドの第3回公会議において王レカレド(Recaredo)が公にカトリックに改宗しこれを国教と認めたことにより 、先住のローマ系市民と西ゴート族の溝が消え統一が完成されました。
 しかし、712年、北アフリカからジブラルタルを渡って来たイスラム勢力はトレドを征服し、これをトライトラ(Tolaitola)と呼びました。かくして、イスラム教徒支配下にユダヤ教徒とキリスト教徒が共存する時代となりました。
 半島の北部から始まったレコンキスタ(国土再征服)は中央高原に波及し、1085年5月25日、カスティーリャ(Castilla)王国のアルフォンソ6世(Alfonso此砲長い包囲戦の末、トレドを征服しました。異教徒に寛容な王のもと、今度はキリスト教支配下に他の2民族が共存することになりました。
 16世紀になるとトレドは統一されたスペイン帝国の都として発展しました。カトリック女王イサベル(Isabel la Catolica)は1492年、イベリア半島最後のイスラム領土であったグラナダを落とし、国土再征服を完成させましたが、女王の死後、後を継いだ次女ファナ(Juana)の死亡でハプスブルグ家の血を引く僅か16歳の王子カルロス(Carlos)がフランドルから呼び寄せられたことによって、スペイン帝国の領土は一気にイベリア半島に加え、発見されたばかりの新大陸、ブルゴーニュナポリ、シシリア、サルデーニア、フランドルドイツ、オーストリアへと拡張されました。この広大な帝都トレドで使われた皇帝カルロス1世の双頭の鷲の紋章(エスクード)が今も使われています。
 世界最強の帝国の都としてトレドは栄えましたがカルロス1世の退位後即位した子のフェリペ2世(Felipe 供砲1561年、マドリッドに都を移してしまいトレドは政治、経済の中心としての立場を失いますが、トレドの司教座はスペイン・カトリックの中心地として現在に至っています。-http://www.city.nara.nara.jp/kokon/kuryu/toredo.htm

:場所


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Last-modified: Sat, 26 Feb 2005 12:59:52 JST (4919d)