「毒薬事件」の主犯とも言うべきラ・ヴォワザンは、数限りない殺人を犯したことを認めて、一六八〇年二月二十日に、処刑された。前言を取り消したりすような見苦しいことは一度もせず、いかにも暗黒世界の女王にふさわしい死に方をした。書簡文学で名高い[[セヴィニェ夫人>セヴィニエ夫人]]などは、こんな彼女の堂々たる悪人ぶりに感嘆して、つぎのように書いている。

>「ノートルダム寺院に連れて行かれても、彼女は決して罪の赦しを乞おうとはしませんでした。いよいよ[[グレエヴ広場>グレーヴ広場]]に着くと、彼女は囚人護送車から下りまいとして力の限り抵抗しました。そこで役人に無理やり引っぱり出されました。針金で縛られて、薪の山の上に座らせられ、藁でまわりを囲まれると、彼女は大声で罵って、五六度も藁を押しのけました。けれども、とうとう火が燃えさかって、彼女の姿は見えなくなりました。彼女の灰は、いまでも空気中に浮遊しているはずです。」(一六八〇年二月二十二日付書簡)

#ls2(毒薬の手帖/黒ミサと毒薬)

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