古代の薬学は神話や伝説と混淆していて、たとえばプリニウスあたりも、ふしぎな想像上の動物の毒物学的特質を大まじめで信じていたのだから面白い。彼によれば、海中には「海ウサギ」という珍動物がいて、その牝は毒性を有するが、牡の身体は解毒剤になるという。

神話のヘカテー(出産・冥府の女神)やメディア(コルキス地方の魔女)が用いた植物が、そのままオリバシウス(前四世紀)やガレヌス(二世紀)などといったギリシアの医者の処方に登場するのも面白い。

ロオマでもギリシアにおけるごとく、水銀の毒性は知られており、ディオスコリアデスは水銀の有害な蒸気を防ぐために、特別なマスクの使用を鉱山業者たちに奨めている。鉱物の毒性は、デルポイの信託を受けるアポロンの巫女でさえすでに知っていた。

アエリアヌス(三世紀)やオウィディウスなどといった古代の作家は、スキチアの戦士たちが、その矢を毒蛇の胆汁や血に浸す習慣があることを語っている。スキチアというのは、アジアに近いヨーロッパ北東の辺境を指す。

こうしてみると、比較的近代に発見されたものを除いて、古代から十九世紀中葉まで連綿とつづく古典的な毒薬の基本は、要するに動物・植物・鉱物の三つのカテゴリイに属していたことが分かる。

動物性毒物のうちでいちばん知られていたのは、牛やヒキガエルの血から形成されるプトマインであろう。次に蝮やイモリの毒、カンタリス(斑猫)やタマムシの粉末がある。こうした昆虫の粉末は、嘔吐感をもよおす刺激的な臭気と、排尿時の激痛を生ぜしめるものではあるが、いわゆる持続性勃起《プリアピズム》や過度の淫楽を求めるひとびとによって、しばしば催淫薬として使用された。

プリニウスによると、小カトーは[[キュプロス>キュプロス島]]王の財産競売のとき、多額の金を投じてカンタリスを落札したので、毒薬商人という異名をとるようになった。十八世紀のサド侯爵も娼婦相手にカンタリスを用いている。

植物性の毒はいちばん種類が多いが、作用は必らずしも激烈ではない。もっとも毒ニンジン、ジギタリス、ある種のキノコなどは例外である。犬サフラン、タカトウダイ、ストラモニン、ベラドンナなどは、飲んでも死ぬとは限らない。

これらの有毒植物は、しばしば鉱物性の毒の作用を補強する役目をしていたのではないかと考えられる。

火山地方に産する鶏冠石(サンダラカ)とか雄黄《ゆうおう》(石黄とも呼ばれる)とかの、鉱物性毒物は、ディオスコリデスによると、内蔵を腐蝕させ、激しい障害をひき起すと言われる。これらは自然に産する砒素の硫化物で、前者は赤く、後者は黄色く、鉛とか、辰砂とか、水銀とか、白鉛とかと混ぜて用いられる。

#ls2(毒薬の手帖/血みどろのロオマ宮廷)

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